Opinion : 集合知の限界 (2019/3/25)
 

「Web 2.0」という言葉が大流行していた頃だったか、「集合知」という言葉も持て囃されていたような記憶がある。その典型例として挙げられたのが、確か、Wikipedia だったか。

どこまで定量的に検証された話かどうか知らないけれど、「日本の Wikipedia でやたらと詳しいのは、アニメと鉄道」なんていわれていたらしい。それがその通りかどうかはともかく、項目・分野によって内容の粗密が激しいのは事実。

最近、巷を賑わせている Google Maps の劣化問題 (当の Google は劣化したと思ってないかも知れないけど) も併せて考えると、やはり集合知といっても場合によりけり、常に頼りになるとは限らんなあ、と再認識した次第。プローブ データが大量にあるだけではダメなのだ。


しまった、いきなり結論を書いてしまった。

なんでそんな話になるかといえば、情報提供者がどれだけ集まるか、その情報提供者がどれだけ誠実に、かつ深く情報を出すか、集まった情報を誰がどうやって検証・保証するのか、という問題がついて回るから。という、至極当たり前の話になってしまう。

項目・分野によって粗密があっても大した問題がないということなら、それでもなんとかなるかも知れない (好ましいことではないけど)。しかし、全体的に均等なクオリティを要求する項目・分野になると、事情は違ってくるんじゃないかしらん。

地図なんていうのは、その中でも最たるもの。ひとことで地図といっても、含まれている情報は多岐に渡るし、その地図を利用する側の視点もいろいろ。これまでに出回ってきている「紙の地図」は、そういう利用者によって磨かれてきて、現在の形に落ち着いているのではあるまいか。しかも、用途によってさまざまな地図が作られているぐらいだから、利用する側の視点が多岐にわたるのは確か。

それをネット上の地図で代替するなんて話になれば、当然、紙の地図と同等のクオリティを求められるだろうし、紙の地図と同じように使えなきゃダメということになる。

そこで利用者をベータテスター代わりにして「利用者が提供する情報が増えればクオリティが上がるはず」と考えているのだとすれば、ちょっと無責任じゃないかしらん。たとえ、そういう断り書きをどこかに入れるのだとしても。

もっとも実際のところ、ネット上の地図が紙の地図を完全に置き換えられるかというと、疑問がある。特にスマートフォンで利用する地図というのは、基本的には「ルート案内のツール」に徹しているから、情報に偏りがある。

そういう意味で度しがたいと思っているのが、Windows 10 付属の「マップ」。地図としての出来の良し悪し以前に、距離スケールが表示されないという致命的な問題がある。「ルートガイドを作動させれば行程の距離が出るんだからいいだろ」という考えかも知れないが、それはもはや「地図」とはいわない。
「地図」を名乗っておきながら、ワングランスで二点間の距離を概算できないでどうするよ。「道案内」に看板を掛け替えるのならともかく。

おっと、話が脱線した。実のところ、ネット上の地図を提供する側がそもそも、紙の地図を代替するものだなんて思っていないのかも知れない。よしんばそうだとしても、提供する側の思惑と利用する側の思惑が食い違うのは、よくある話。


たまたま、地理大好き人間の前に「出来の悪い地図」という格好のお題が降ってきたので、ついつい熱くなってしまった。いかんいかん。

どんな分野であれ、「頼りにしても大丈夫な情報源」を実現しようと思ったら、相応の人知と手間とコストがかかるもんじゃないんだろうか。それを、見ず知らず・不特定多数の他人に下駄を預けて「集合知」という美辞麗句で糊塗すれば、悪貨が良貨を駆逐してしまいかねない。

これが「車両運用情報」みたいに、使う側の目的が明確かつ限定的分野の話であれば、集合知はおおいに役立つと思うけれど。ただしこれとて、情報の検証をどうするのかという課題はついて回る。ガセネタを投げる人が、いないわけじゃないみたいだし。

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