Opinion : COVID-19 をめぐる最近の情勢に関する雑感 (2020/3/30)
 

この土日、遠出は諦めて、自宅の近辺で大人しくしていた。せっかく、仕事の山を突き崩して、連載原稿の在庫をある程度まで確保できたというのに、そのタイミングで遠出ができないとは。

と、ボヤいてみても始まらない。毎日、朝か夜にやっている体温測定の結果は常に安定の 35 度台キープだけれど、油断していると、どうなるか分からない。そこで問題なんだけど、その「油断大敵」をどう持続可能なものにしていくか。

前に「『○○をしなければならない』となったときには、その理由をちゃんと理解していないと駄目」という趣旨のことを書いた。理由を理解できていないと、その結果として導き出された行為、あるいはルールを守らせることしか考えなくなり、結果として本質的な部分が置いてけぼりになりかねない。


何でもそうだけれど、我慢を続けるのは根気が要る。ダイエット経験者ならよく分かってるでしょ。ちょっと気を抜いた結果として、盛大にリバウンドして「あーあ」となった経験がある人は少なくなさそう。

病気の治療にも似たところがある。「悪いところを切ったらおしまい」なら短期決戦で済むかも知れないけれど、ひたすら服薬を続けなければならない、なんてことになれば話は別 (それもときには年単位で)。それをちゃんと守り続けるのは根気が要る。

ときには「我慢に快感を感じる」というマゾ的な人もいるかも知れないけれど、普通、我慢ばかりしていると耐えられなくなるんじゃないだろうか。まして、今回の COVID-19 騒動みたいに経済的なダメージまで出てくれば、なおのこと。おまけに、現時点では出口が見えていない。

とどのつまり、小さな楽しみ、小さな息抜き、小さな娯楽をチョコチョコと混ぜていかないと、たぶん多くの人は持ちこたえられなくなるんじゃないかと。だからといって、換気があまり良くない場所に多数の人が集まって、大声を出すような事態が続けば、元の木阿弥。

そこで以前に書いた話の蒸し返しになるのだけど。何をしてはいけないのか。その理由は何か。それを知ることが大事になるのでは。それによって、「どういう楽しみなら実現可能か」「どういう娯楽はマズいか」といったことを考える材料ができる。

そこで「これなら大丈夫だよね」という範囲で小さな楽しみ、小さな娯楽、小さな息抜きを入れることが、結果として長期戦に勝ち抜く糧になるんじゃないかと。先が見えない不安と向き合うには、それが必要じゃないかと。

ひたすら我慢を強いて、そこから逸脱した人を無条件に叩くようなことをしている人は、たぶん、本来の背景事情や理由を無視している。導き出された決まり事を守らせればよい、という形式的な対処しか考えていない。

短期決戦なら「あれも駄目、これも駄目」だけで乗り切れるかも知れないけれど、長期戦になったら続かないよ ? 短期間だけ 120% の馬力を出すよりも、長期に渡って 80% の馬力を維持し続ける方が、たぶん難しい。


買いだめパニックにしても、不安ばかり膨らませてしまった人が、「とりあえず、まわりの人と同じようなものを目の前に大量に積み上げれば、心の安寧を得られる」という、いわば「不安との向き合い方がヘタ」という要素があるんじゃないかと。

それに加えて、「こういう事態のときには何が必要か」「何をどれだけ確保すればよいか」という様態を適切に想定できないという問題。大地震でライフラインや物流が途絶するのとは違うのだから、カップ麺やパンを大量に買い込んでどうするの。

そうやって不安が鬱積しているところに、「毎朝、行列して買いだめに励む高齢者」なんて話が流布すれば、反発を買うのは必然。すると、「なんでまた、そんな連中のために年金保険料を払わなきゃいけないのか」と思う人だって出てきかねない。

一方で、主として若者に行動抑制を呼びかけているものだから、それに乗じた高齢者が「若者が我慢してくれればいい、こっちは自由にできる」なんていいだせば、もう火災現場にナパーム弾を投下するようなもの。

この、世代間対立が先鋭化したことの後遺症は、意外と大きいかも。世代間だけでなくその他の分野でも、「○○が悪い」「いや、△△の方がもっと悪い」の殴り合いがあちこちで起きてる。そんな社会分断が起きて、喜ぶのは誰だろう ?

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