Opinion : 出羽守と攘夷の志士による shit fight (2020/10/12)
 

ネットスラング (?) のひとつに「出羽守」がある。要は「外国では○○しているのに日本はやってない。日本はダメだ」系の論陣を、始終展開している人のこと。出羽国の皆さんにとっては、なんとも傍迷惑な呼称だと思うけれども、それはそれとして。

一方では、「外国でやっていることを日本に持ち込んでも (うまくいかない | うまくいかなかった)」「我が国には我が国固有の事情が」みたいなことばかりいっている人もいる。現代に蘇りし攘夷の志士 ?

端から見ていると「どっちもどっち」だと思う。武器開発の分野でも、その他の社会のあれこれでも、ちょいちょい見られる図式。


ただまあ、攘夷の志士みたいな人が出てくる背景には、いわゆる出羽守の存在があったのだろうと思うし、そういう意味で両者は表裏一体。実は、合わせ鏡みたいな存在なのだろうなぁと。だいたい、向いている方向が違っていても、根っこのマインド セットは似ていそう。

と書く現場が自分のサイトなら、凍結させようとして通報するのは無理な相談なんである。おっと。

なんのことはない、「日本の戦争犯罪」を言い立て続ける人と、「日本は悪くない」論を言い立て続ける人の関係と似たところがある。何かを叩けば、それに対する反発からリアクションが生じる。作用反作用の法則 (え ?)

一方は「日本が悪い」「日本はダメだ」といいたいし、他方は「日本は悪くない」「日本は素晴らしい」といいたいわけで、折り合いがつきそうには見えない。そして、作用とそれに対する反作用の振れ幅がどんどん大きくなって、最後にはドッカーン。

もっとも、ネット上での議論 (もとい、バトル) ってたいてい、双方の陣営がそれぞれ、自説に都合の良さそうな話を検索して、見つけてきては投げつけ合うことの繰り返し。いってみれば shit fight なのだ。いつも書いてることだけど。

一方で、志を同じくする仲間内では、自説に都合の良さそうな話を持ち出し合っては「ねー」「ねー」といってエコー チェンバー化している。それがまた、極端な方向に走るブースターの役割を果たしてしまう。ああ不毛。

どっちにしても両極端に走っている上に、腐すこと、あるいはそれに対して殴り返すことが目的になっているから、落としどころを見つけるつもりなんてありはしないだろうし。第一、そんなことをすれば今度は、支持者 or 仲間内から石が飛んで来る。

この手のバトルで不毛なのは、たいていの場合に枝葉末節の話に入り込んでしまっていて、細かく枝分かれしたトンネルの先で「相手に勝とう」として叩き合いをやってしまうこと。「最終的に、それによって何を実現したいの ?」は置いてけぼり。手段が目的化してしまう上に、それが不可侵の教典と化す。


ただ、その「攘夷の志士」も、こと武器開発の話についていえば、海外の動向が気にならないわけではなさそう。たぶん、「海外でやっているものを我が国がやっていない」状況は、おそらく我慢できないケースが多い。

ところが面白いもので、「海外でやっているものを、我が国がもっとうまくやっている」は許容される、というか、たぶん賛美される (実際にうまくいっているかどうかは別として)。それは結果として「日本 age」になっているから、そうなる。

ただ、個人的な趣味的好き嫌いの問題と、それが国や企業、あるいは受益者・利用者にとっていいことなのかどうかという問題を、一緒くたにするのはやめてね。とだけはいいたい。

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