Opinion : 危機を危機だと自覚できない危機 (2021/4/19)
 

かつて「皇軍不敗」なんていっていたら、その帝国陸海軍が太平洋戦争でボロ負けした、なんてことがあった。

もっともこの手のフレーズ、対外宣伝の文句として使っただけで内輪は信じていなかったのか、それとも内輪まで信じ込んでしまっていたのかで、意味合いはまるで違ってくるけれど。とはいえ、前者なら国民に要らぬ慢心を与える元になるし、後者なら内輪まで一緒になって慢心することになるから、どちらにしてもいい結果にはならない。

なにも軍事組織に限らず、企業でもなんでも、そして国家のレベルでも、勢いがあるとき・調子がいいときに、図に乗って「無敵」とか「不敗」とかいう単語が出てくるようになったら、往々にしてヤバい。

もっとヤバいのは、勢いがなくなったり、調子が悪くなったりしたのに、現実から目をそらして「無敵」とか「不敗」とかいう単語を使い続けること。そこまで行かなくても、「うちは強いぞ」という宣伝、あるいは意識が抜けないだけで、充分にヤバい。

逆に、勢いがあるとき、調子がいいときでも危機感を忘れない組織は強い。いや、組織に限らず、上は国家から下は個人まで、程度の差はあれ、似たようなものではないかと。そこで危機感を忘れて、たとえば前動続行ばかりするようになったら、後で負け戦に転じたり没落したりする原因を作る。


そんな観点からアメリカという国を見ると、こと安全保障や軍事の問題が絡んだときに、ヤバいときに「これはヤバいぞ」という人が、あるいは組織が出てくるのが強いと思う。昨今だと、中国がらみのあれこれが典型例で。

ただ、「ヤバい」という意識を持っても、そのときにどう取り組むかで違いが出てくる。たとえば、「ヤバい」という意識が結果として、「ヤバい事態を避けたい」から「相手にすり寄って解決しよう」という、解決にならない解決策に走る事例だってあるわけだから。

逆に、何がどうヤバいのか、彼我の得手不得手や優劣はどうなのか、といった話を冷静に、虚心坦懐に調べて、そこから解決策を導き出そうとするのであれば、それは逆転につながる可能性が出てくるんじゃないかという期待が持てる。

とはいえ、それだけで「絶対に逆転できる」なんていえないけれど。

すると、拙著で書いたように「どういうゲームのルールで戦えば勝てるのか」「そこで自陣営が優位を占められるポイントは何か」「相手陣営に負荷をかけるにはどうすればいいか」などといった思考が不可欠なものになるはず。こういう検討を真剣に、粉飾なしでやらないと、勝てるはずのものも勝てなくなる。

たぶん、1970 年代後半から 1980 年代前半にかけての米軍や NATO は、この手の話に必死になって取り組んで、なんとか解決策を出そうとしていたんじゃないかと。少なくとも、「熱砂の進軍」なんか読んでる限りでは、そういう印象を受ける。

とある拙稿で「今の中国海軍の大増勢は 1980 年代のソ連海軍のデジャブ」なんてことを書いたけれど、時代と相手が変わっても、当時と共通する部分はなにかしらあるかも知れない。もちろん、当時と違う部分だっていろいろあるけれど。

すると、過去の歴史を参考にするにしても、ただの真似っこじゃなくて、「当時と今とでは何が共通で、何が異なるのか」を、虚心坦懐に調べ上げて、結論を導き出さないといけなくなる。

たまたま、話の流れ上「対中国」の話を引き合いに出したけれど、他の分野でも事情は似たようなものでは ?


そういう観点からすると。今の我が国で、安全保障でもその他の分野でも「ヤバい」という認識を持てているのか。持てていたとしても、それに対してどう向き合っているのか。そういう観点からして、不安感を催す場面が少なくないんじゃないかと思える。

昨年に「現代ミリタリーのゲームチェンジャー」を書いて世に出した動機のひとつは、実はその辺にあったりする。過去の成功法則・成功体験はひとまず措いておいて、ゼロベースで新たに「勝てるゲームのルール」をひねり出そうという考えが、果たしてどこまであるのか。そこのところがまことに心配だったから。

実のところ、あれは「読むと答えが書いてある」という本ではない。そういうところは不親切なんだけど、「そんなインスタントな解決に頼ってたらダメでしょ」という言い分もあってのこと。

「従来のやり方でよい理由」探しに汲々としてみたり、相手をけなすことにばかり精を出してみたり、あるいは他所の失敗事例を拾ってきては「自分達がいちばん」「自分達のこれまでのやり方で間違いない」ばかりいっていたり。そんな調子だと、自ら墓穴を掘って沈没するだけでは。

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