Opinion : 自動化は雑事からの解放 (2021/6/28)
 

EOS R5 が手元にやって来て、半年ほど経過した。戦闘機も新幹線も在来線も試してみたけれど、一言でいうとこれである。

「これは使う人間をダメにするカメラだ」

もちろん、これは褒め言葉。とにかく追尾 AF が頼りになるので、AF がらみの心配をあまりしなくても済むのは助かる。といっても、「どうしても外せない」被写体が相手になると、日和って置きピンにしてしまうこともあるけれど。

EOS R5 に限らず、ニコン D500 でも似たようなことをいっている人がいるのを、ときどき目にする。


R5 にしろ D500 にしろ、「以前なら使い手があれこれ工夫したり苦労したりしていたところを、カメラが面倒見てくれてしまう」傾向が強い。ここまで極端でなくても、EOS 5D Mark III/Mark IV しかり、EOS 7D Mark II しかり。程度の差はあれ、撮り手は楽をさせてもらっている。

だから、「仕事の道具」としては、まことに頼りになる存在。ある種の戦場といえる報道公開の現場なんかで、被写体に対してサッと構えてサッと撮って、それで充分に高い歩留まりを実現してくれる。使い方を間違えない限り、滅多に外すことはないから、ありがたい限り。

機材がこうなると、「機材任せになってしまって上手くならない」という声も出てくるけれど、それは否定しがたい部分もある。上手くならないというか、ちゃんと考えなくなるというか。とにかく、被写体をファインダーに捉えてシャッターを押せば、ちゃんと写るから。

でも、それは煎じ詰めると「撮り手の心掛け次第」ではないのかなと。それに、カメラは AF や AE の面倒は見てくれても、フレーミングや、レリーズのタイミングまでは面倒を見てくれない。(あ゛、オリだとプロキャプチャーがあるか。使ったことなかったけど)

すると、「カメラに任せられる部分はカメラに任せて、人間は人間でないとできない領域に専念する」。そういうアプローチも、否定するこたぁないと思う。ことに仕事の場では、「何が何でも成果物を持ち帰らないと始まらない」となるわけで、あれこれ考え込んでいる間に取り逃がしたら洒落にならない。

実際に使ったことがないから想像の領域になるけれど、戦闘機も似たところがあるんじゃないだろうか。昔なら搭乗員があれこれ、学習したり訓練したり工夫したりしていたところ、最近は機体 (の搭載システム) が面倒を見てくれる場面が増えている。戦闘機のコンピュータ化を指して「次の世代のテーマは、パイロットの雑事からの解放」だ、といった人もいる。

でも、状況判断や戦術的意思決定や、そして機体を実際に操るところは、パイロットが自分でやらないといけない。それを学習させて人工知能 (AI : Artificial Intelligence) にやらせてみよう、という取り組みもあるけれど、これはまだ「いかにして人間の信頼を得るか」というレベルの話。


機材が賢くなって自動化の度合が進んだり、システム化やマニュアル化が進んだりするのは、「誰でも一定水準の仕事はできる」という意味がある。人が代わってもアウトプットのレベルを維持しないといけない「組織の仕事」では不可欠な要素。すごい能力を備えた「名人」に頼ると、その人がいなくなった途端に総崩れになってしまう。

ただし同時に、「一定水準からさらに上を目指す」道筋をつけておくことも大事。たとえば、AF や AE をカメラ任せにしても、撮り手が自分で考えないといけない要素はあるし、そこでレベルに差がついてくる。自動化システムで敷居を下げることと、さらに上を目指す道と、両方欲しいという話。

そして、「人間を雑事から解放してくれる」はずの自動化システムだけど、実際にはそんな簡単ではない。動作の癖や傾向を理解しておかないと、意図した通りに機能してくれなくて困ることも、人間と自動化システムが喧嘩してしまうこともある。

だからやはり、人間がなにかしら、頭を使わないといけない部分は残ってしまうのが現実。それは多分、自動化システムの能力をフルに発揮させるためにも必要なこと。

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