Opinion : "だろう計画立案" と、いつか来るかも知れない危機 (2021/8/30)
 

普通の旅行でも撮影行でも、ついつい余裕のない、きわどいスケジュールを組んでしまうことがある。撮影行に出たときは特に、可能な限り撮れ高を増やしたいと思うものだから、「あれもこれも」と欲張ってしまう。

ありがちなパターンだし、自分もときどきやる。朝の当麻・永山界隈における「石北本線と宗谷本線の反復横跳び」なんか典型例で、夏場なら余裕綽々だけど、冬にやると路面状態の関係で、ヒヤヒヤものになる (冬場だけに)。

もっとも自分の場合、マージンを過剰に見積もった結果として「きわどいかな」と思い、実際にやってみると余裕があった、というパターンも少なくないのだけど。でも、そういうケースばかりとは限らない。

幸いにも自分の場合、きわどいスケジュールを組んだせいで旅程が全崩壊、なんていう惨事になった経験はなかったと思う。きわどいスケジュールをリコメンドされ、それを真に受けたら 1 便目がディレイしてボストン空港で走る羽目になった、ぐらいの経験はあるけれど。

そこで問題なのは、「きわどいスケジュールを組んでうまくいった」が「次もきわどいスケジュールを組んで大丈夫」を保証するわけではないということ。当たり前の話ではあるけれど、ついつい失念しがちな話でもある。

なお、旅程崩壊の危機に効くと噂される護符の存在は考慮に入れないものとする)


旅行でもビジネスでも軍事作戦でも、何かやってうまくいくと、往々にして「これなら次も同じ手で行ける」と思ってしまいがち。それが、リスク回避のマージンを織り込んだものであればまだしも、投機的な作戦をやって成功してしまった場合はどうか。それで次も投機的な作戦に頼ってしまったり、さらに投機の度が増したりしたら…

するとたぶん、どこかで歯車が狂って大惨事になる。個人の旅行や撮影行なら、歯車が狂って崩壊しても、一人でションボリしていれば済む。でも、事業で惨事になれば、社員と社員の家族と株主に累が及ぶ。軍事作戦で惨事になれば、国民がみんな悲惨な目に遭う。

実のところ、そういう場面で投機的な作戦に頼るのは破滅の元だし、「一度やってうまくいったから、次もうまくいくだろう」は失敗の元。ことにビジネスや戦争は相手がいるものだから、一度目はうまくいっても、二度目は手の内を読まれてどんでん返しを食らうやも知れず。

すると結局、「成功したら、それはそれ。失敗したら、それはそれ」。前回に成功しても、次も同じ手でうまくいくとは考えずに、ゼロ ベースで「どうすればうまくいくか」を考え直す。それに、うまくいったときでも、どうして救われたのかは評価しておく必要がある。

なお、失敗したときには話が違う。失敗の原因を検討して、同じ失敗を繰り返さないように努めるのは当たり前の話。


そういう話になると、どうしても気になってしまうのが、自衛隊の海外派遣任務。過去にさまざまな海外派遣を経験しており、幸いにも大々的に死傷者を出す事態はなかったと記憶している。それはとても喜ばしいことだけれど、同時に「いつかは "戦死者" が出る事態と向き合わなければならなくなる可能性がある」という認識も、常に持っておかないと。

念を押しておくけれども、"戦死者" を出す事態にならなければ、その方がいいに決まっている。でも、危険が予想される任務に出したとき、常にそれを期待するのはどうなんだろうかと。問題はそこ。

これまでの努力や実績のおかげで、自衛隊に対する国民感情が良くなっているのは良いこと。しかし同時に、国防のための武装組織であるという前提とも、真正面から向き合う必要があるんじゃないだろうか。政治サイドも、一人一人の国民も。

「親しまれる組織」であることは良いことであるにしても、そのためにソフトなイメージ、あるいは災害派遣の話ばかりが前面に出てくるのはどうなのか。もともとは戦うための武装組織であり、任務を果たす過程で死傷者が生じる可能性は常について回る、という本質から目をそらすのはまずい。

その本質と正面から向き合わないと、「これまで死傷者を出さずに済んできたのだから、今後も同じように行くだろう。それなら任務に出してしまえ」という、安直な「だろう派遣」につながらないとも限らないんじゃない ?

そうなると結局、死傷者が生じたときの対応もおかしなことになって、国のために身体を張ったのに、しかるべき扱いや敬意を受けられなかった… そんなことになりはしないかと心配になる。米海兵隊の戦死者の遺体を収めた移送用ケースを、国旗で包んで輸送機で運んでいる写真を見て、そんなことを考えてしまった。

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