Opinion : 単品だけで考えるのはよろしくないという話 (2022/1/24)
 

F-4EJ 改後継機の話で、軍用機好きの間で喧々囂々やっていたのも今は昔。たぶん日本向け F-35A の初号機 (AX-1) がロールアウトした 2016 年 9 月あたりがひとつの転機だったと思うが、F-35 に対する見方がガラリと変わってしまった、それより前の非難囂々ぶりを覚えている身からすると、「変わり身が早いなあ」と思ってしまうのだけれど、それはともかく。

その「非難囂々」の時代からいっていたことのひとつに、「戦闘機単体のスペックの話ばかりいうのではなくて、レーダー網や指揮管制なども含めた "防空システム" として考えないとあかん」という話があった。しかしこれ、なにも「戦闘機による防空」の話に限ったことじゃない。

ちょうど今日、来月売りの某誌特集に寄稿する原稿を仕上げて送り出したのだけど、そこでも「ウェポン単体の機能・能力・諸元比較で終わるのではなく、他の構成要素も含めたシステム全体で考えないとあかん」ということを書いた。たまたまウェポン関連の話が続いたけれども、他の分野だって同じじゃないだろうか。

自動車の電動化なんかいい例で、CO2 排出削減をいうなら、自動車単体だけでなく、それを走らせるための道具立ても含めた、トータル (エコシステム) で考えないといけない。バッテリを積み込んでおいて、充電して走らせる BEV が相手であれば、充電の源となる電力供給も含めて考えなければならないのは、当たりき車力の AN/TPY-2。

すでにあちこちでいわれているけれど、BEV がゼロエミッションでも、それを支えるインフラの部分はどうなのかという話。あと、BEV に切り替えることで何かしらのネガが生じて、そちらでエミッションが増えることになれば、何のための BEV 化なんだという話になりかねない。

もっとも、そういう話になると、おそらく「どこからどこまでを対象に含めるのか」でもめる。自動車を例に挙げれば、すでに「製造段階における CO2 排出がフンダララ」という話が出ている。そこで政治的な策謀が蠢き、CO2 排出問題をダシに使ってゲームのルールを変えようと目論む向きが暗躍するのは様式美。


なんて話はともかく。安全保障がらみの話で、ひとつ気になっているのが、いわゆる「敵基地攻撃能力」の話。これ、単に「日本に向けて撃ち込まれてくる各種ミサイルについて、飛来してから迎え撃つのでは限りがあるから、発射前に叩かないとあかん」という話だけで終わらせていいのか。

この分野に「単体の構成要素だけでなく、システムとして考える」という考え方を応用すると、「単体の構成要素」とは「飛来するミサイルを迎え撃って、着弾しないようにする」という話が当てはまる。では、とにかくミサイルの着弾を阻止し続けていれば問題は解決するのか。いや、解決すると思っている人もいるかもしれないけれど、それはどうだろう ?

先方が、日本の国土に向けてミサイルを撃ち込むのは、それによって何かを実現したいと考えているから。では、それに対して我々がどうすべきかといえば、その「何かを実現」する事態を阻止しないといけない。「そんなの、飛来するミサイルを全部撃ち落とせば被害は出なくなるのだから、結果として『何かを実現する』のは阻止できるんじゃないか ?」という言い分もあろう。でも、それって現実的なん ?

たとえばの話、弾道ミサイルが 1,000 発飛んでくるとする。迎え撃つのに百発百中はあり得ないから、1,500 発とか 2,000 発とかいう迎撃ミサイルが必要になると考えるのが妥当。で、それを揃えて、維持して、継続的に能力向上を図ることは、現実的に可能なのか。

SM-3 ブロック IIA なんか、ちょっとした戦闘機並みのお値段がするんである。下世話な話、弾道ミサイルを 1 発迎え撃つ度に F-16 を捨てるようなもの。そんなことが許容できるのか。

とどのつまり、「飛来するミサイルをすべて迎え撃つ」という無茶をいうからそういう話になる。そうではなくて、「ミサイル攻撃によって、あちらさんが実現しようとしていることは何か。それを阻止するために、こちら側は何ができるか。そのためには手持ちのリソースを何にどれだけ配分するか。それによってどういう所望結果を目指すか。そのために活用できる我のアドバンテージは何か」といったことを明確にしないといけない。

それこそが、「我にとって有利なゲームのルール」を作り出すという話なんじゃないだろうか。ミサイル迎撃はあくまで手段であって、それによって何を実現すべきかという「目的」は別にあるはず。すると、そこでどういうシステム (戦闘ではなくて戦争を戦い、勝つかせめて負けないようにするための仕組み) を構築すればよいのか。

それこそが、真剣に考えないといけない話なのではなかろか。単に脅威を振り払うだけの仕組み (これは手段であって目的ではない) という話ではなくて。


ホットな話題だから、ミサイル防衛の話をお題にしたけれども、他の分野も含めて「手段と目的の混同」あるいは「手段の目的化」は厳に避けないといけない。しかし実際のところ、さまざまな分野で実例がみられる話でもある。

もっとも自分だって、2003 年のイラク戦争とその後ぐらいの時期に "effect-based operation" といわれて「なんじゃそりゃ ?」となってしまったもの。あと、弾薬類のことをなんで effector と呼ぶのか、納得できるようになったのは最近の話。だから、偉そうなことばかりいってはいられないのだけど。

でも、そういう道を通ってきているからこそ、同じ轍を踏まないでほしいなあとも思う次第。

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |