Opinion : 節約はリソース不足の本質的解決ではない (2022/3/28)
 

先日、Twitter でもちょっとボヤいた話を、先週の続きみたいな形で。

電力需要が急増して供給が追いつかないので、とりあえず節電を要請して乗り切りました。停電が発生しなくて良かったですね。以上。

で済ませてしまうのは大間違い。だいたい、一方であれこれの理由から供給能力を意図的に削いでいるのだから、何かあれば余力がなくなるのは当たり前で、「予想できなかった」なんて言い訳をする人がいたとしても通らない。

福島で地震があって、発電所がいくつかダウンしていたから不足が生じたのであって、それがなければ不足はなかったはず。そんな言い分もあるかも知れない。でも、それは、クルマで移動するのに「途中でまったく赤信号にひっかからない」という前提でスケジュールを組むようなものでは。

そういう、不測の事態に備えるのも余裕のうちなんだから。


もちろん、余裕を確保するにも何かしらのリソースを消費するわけだから、「どの程度まで余裕を持たせれば良いか」を判断するのは極めて難しい。

フリーランス商売をしていると、収入が激しく上下変動するのは日常なので、収入が多いときの数字に合わせて生活設計をすると家計が崩壊する。といって、ひたすらケチってばかりでも、いろいろと差し障りが生じる。第一、必要なところには資金を投下していかないと、仕事が成立しなくなる。

すると、稼ぎのいいときに余裕資金を確保しておき、稼ぎが減ったときや資金投下が必要になったときに放出する形になるのだけど。ただし、その余裕資金をどんだけ確保すれば大丈夫かなんて、分からない。

なお、「あればあるほどいい」という答えは、答えになっていないので却下。

とどのつまり、過去の経験に基づいて「とりあえずこれぐらいあれば」という目安を定めるしかなくなる。他の分野でもおそらく、基本的な考え方は同じで「以前にこれぐらいの余裕を確保していたのに不足したから、次はもうちょっと上積み」などと補正していく。それしかないだろうと。

だったら、先日のように地震と冷え込みが束で襲いかかってきて余裕がなくなる事態に直面したときには、その教訓を受けて余裕を積み増さないといけない。そこで「節電で乗り切れたのだから、これでいいよね」というのは大間違いのこんこんちき。

ただ、発電所はそんな簡単にポンポン増やせるものではないから、短期的にそうするしかない場面はあり得る。でも、長期的には余裕を積み増す方向に持って行くのがスジだろうにと。

企業活動や市民生活に犠牲を強いたのは「乗り切れた」うちに入らない。第一、何かあるとすぐに「企業活動の抑制で節電に御協力を」なんて呼びかけられるような場所に、好き好んで進出する物好きな企業があるかいな。

そもそも、今の日本が電力を湯水のように使っているかといえば、さにあらず。たとえば、家電業界でも鉄道業界でも、もう何十年もの間、電力消費の低減に努力を重ねてきている。そこからさらに削れというのは、乾いた雑巾を絞らせるようなもの。

そういえば、他所の分野にも似たような話があった。インカムが減っているという話があるときに、「少ないインカムで乗り切るために激安バンザイ」となるか、「インカムを増やさせる」方に行くかという話。身も蓋もないことを書けば、商品やサービスが激安になれば、回り回って我々の日常生活も激安になるのでは ? そんなスパイラルはどこかでちょん切らないと解決しない。


だいぶ昔に書いたような気がするけれど、人間、「制限が厳しいほどに、解決のために意気を燃やす」という場面は、確かにある。でも、それを常時前提とするのはおかしい。上で書いた激安の話と同じで、「厳しい制限や要求を課しても、なんとかなった」となると、もっと制限や要求をきつくしようとするアホが必ずいるのだから。

そういえば昔、新形の戦闘機なんかを開発するのに「厳しい要求を突きつければ、技術者が発奮してなんとかする」といって無茶やってた国が、どこかになかったっけか ? そうやって精神論に走ると、エンジニアリングも物理法則も何も無視されるようになる。

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