Opinion : 両端の需要と中間の需要 (2022/9/26)
 

9 月 23 日に西九州新幹線が開業した。仕事であれこれ取材してきた対象であり、開業前夜から初日にかけても、いろいろと取材している。そちらの記事はおいおい世に出ていくことになるはず。

その西九州新幹線について、「これまで 1 本で行けたものが、途中で乗り換えが必要になって云々」と難詰する声を見かける。所要時間はグッと短縮されたが、乗り換えが必要になったという事実は変えられない。

ただ、その手の難詰を筆頭にして「博多〜長崎」の往来ばかりいわれる傾向があるけれど、そこは「ちょっと待って」と思っている。


というのは、いろいろ話を聞いているうちに「新大村〜長崎」がいちばん化けるのではないか、と思えるようになったから。車輌の設計や料金設定から見ても、この区間の自由席利用が相応に発生するのではないか、という見方があるように思える。そうでなければ、新大村〜長崎間の自由席特急料金を大盤振る舞いしないのでは。

では実際にどうなるか。現時点では初物景気があるから、「普段使いでどの区間にどの程度の利用が発生するか」を読むには時期尚早。半年か 1 年ぐらいは様子を見ないといけないかと。

逆に、「葬式景気」で混んでいる函館本線 (山線) や留萌本線を引き合いに出して「こんなに混んでいるのに廃止にするのか」という論調を展開するのは、さすがに無理があるかと。ちょっと悪知恵が働けば、「廃止するかも…」という状況を引っ張り続ける「止める止める詐欺」みたいな手を思いつくかも知れないけれど、それとて限界はあろうし。

その西九州新幹線に限らず、よそ者はどうしても「両端を結ぶ点と点」で物事を考える傾向がある。東北〜北海道新幹線なんかまさにそれで、「東京-函館」「東京-札幌」の文脈でだけ語る人は少なくない。

しかし実際のところは、北関東や東北からの需要はどうなんですか、という話も必要になる。今の空路の状況を見ても、たとえば SDJ-CTS なんていう便の設定が、しかも決して少なくない本数でなされている。これはすなわち、東北-北海道の往来がそれなりにあるということ。(本数は少ないし機材も小さいけど、MSJ-OKD だってある)

鉄道は「線」の交通機関であって、両端だけでなく途中駅が絡む輸送もオーバーラップしている。東海道・山陽新幹線を利用していれば、その様子はよく分かる。長い距離に渡って乗っていると、隣席の乗客が次々に入れ替わる場面はチョイチョイある。東北新幹線でも、たとえば下り「はやぶさ」に乗っていると、仙台でゴソッと降りた後で、入れ替わりにゴソッと乗ってくる。

という話になると、函館本線「山線」のうち余市-小樽間。実際に訪れたときにもけっこう乗っていたし、この区間だけでもなんとかならんのか、との思いはある。それより南の区間が終わり散らかしているから、全区間のアベレージで見ると「維持は不可能」となってしまうけれど、余市-小樽間だけ見れば話が違う。

ただしこの区間、余市町の一存ではどうにもならず、小樽市が乗ってくれないとどうにもならないのが、歯痒いところではある。


これらの事例に限らず、両端ばかり見ていると見落としが生じる場面、ことに鉄道輸送では、他所でも普通にあるんじゃないかと。よその分野でも、たとえば高速道路にも似たような話があるのでは。

それはたぶん、「需要があるかどうか」だけでなく「需要を創出する」ときも同じ。西九州新幹線でいえば、「博多方面から引っ張り込む」ことだけ考えるのではなくて、線内需要をどう掘り起こすか、という話も必要かと。すると鍵を握るのは大村市か。

単に「大村市に住んで新幹線で長崎に通う」だけじゃなくて。新大村駅の近くにビジホがボコボコ建てば、空港からそこまで来て拠点にして、新幹線で南北に向かうのもありじゃないかなあと思ったので。こんなことを書いてみたのは、大村駅の近くに宿泊施設が少なくて難儀をした経験があるからだけど…

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