Opinion : 専門家を都合よく使いすぎでは (2023/7/10)
 

先日、安全保障問題か何かに絡んで「専門家は専門知で殴らないで」という発言をプッシュしてツッコミを浴びた新聞記者がいたかと思ったら、今度は別の社が「1F の処理水排出を是認する IAEA」に対してキレ散らかしていた。

単にキレ散らかすだけならともかく、「分担金に釣られて日本政府の意に沿うことをいっているんじゃないか」といわんばかりの論調。IAEA をなんだと思ってるんだろう。

その「専門知で殴らないで」の話が流れてきたときに、「自分らの意に沿うことを喋らせたいときは専門家をタダで使うくせに、意に沿わないことをいう専門家が出てきたらこれかいな」と思った。そしたら、それに続いて別の社が IAEA に対してキレ散らかしているので、「ああやっぱり」との感。


実のところ、これはまったくの根拠レスでいっているわけではなくて。よくいわれる「切り貼り」どころではなく、テレビ番組のインタビュー録画で「こういう方向で喋って欲しい」といわれた経験がある。

それが自分が考えている方向と真逆なら、その場で蹴って帰ってもいいぐらいだったけれども、30 度か 45 度ぐらい (謎) のズレだったから。といっても、多少の軌道修正というか、煽る方向性を抑えようとは試みた記憶。もう 5 年以上前の話だけれど。

実際にそういう経験があるから、上で書いたようなことを考えてしまうというのはある。国連や IAEA みたいな国際機関にしろ、あるいは各分野の専門家にしろ、新聞・テレビ業界は「自分らの言い分を代弁して裏付けを与えてくれる便利な存在」ぐらいにしか思っていないのと違うか、と。

IAEA にしても、今回は処理水放出を是認したからキレ散らかす社が現れたけれども。逆に、自分らの意に沿うようなことを IAEA がいったのであれば、きっと「錦の御旗」「水戸黄門の印籠」みたいに振り回したんじゃないだろうか。

過去のあれこれを見ても、何かにつけて「海外の権威」(と受け取られやすいもの) を振り回すのは、我が国のあるあるなのだから。

そんな経験ゆえに、「テレビなら生放送」を基本方針とするようになったし、文字媒体だったら「原稿の事前確認」を求めることにした。もしも事前確認が断られるのであれば、それはもう御縁がなかったということで、他を当たってねと。

それで出番が減ることがあっても、意に沿わないことを喋らされたり、思っているのと違う方向でまとめられたりするよりはマシ。そういうことがあると、却って長期的なマイナス効果になってしまうのだから。

環球時報の発言デッチ上げに対して、未だに Twitter の固定ツイートで「これはデッチ上げである」とアピールしたままにしているのも、同じ理由。あのデッチ上げを本物だと勘違いされたら困る。

といっても、さすがに自分ぐらいのレベルだと、せいぜいこの程度。なんぼなんでも、解放軍報が名指しでぶっ叩きに来るようなことはないと思われる。


正直な話、見知らぬどこかの記者からコメントを求められるようなことがあった場合、まず相手が何者なのか、どういう方向性・立ち位置なのかを確認してから応じないと大火傷をしかねないんじゃないか。と、そんな警戒心が強くなってきている。

「そこまでするのか」といわれそうでもあるけれど。それぐらいの自衛策は講じておかないと、どんな落とし穴が発生するか分からないというのが正直なところ。特に、先方が「自分の意に沿うように動いてくれない世の中をなんとか引き戻そうとして、躍起になっていそう」な場合には。

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