Opinion : 危機感の共有 (2023/7/31)
 

新しい防衛白書が出たそうだ。

もうだいぶ前、昨年の話になるけれど。「来年の防衛白書をまとめるに際して、意見を聞かせて」との依頼をいただき、市ヶ谷まで行って、いろいろお話をしてきたことがあった。それがどれだけ影響したかは知らないけれど、外部からの意見も聞いてみようというのは、良いことだなと思った。

この業界ではもう何年も前から「日本を取り巻く安全保障情勢は厳しさの度を増しており〜」が枕詞になっていて、たとえば指揮官が何か訓示をするような場面で、このフレーズがチョイチョイ出てくる。ただ、同じようなフレーズを繰り返し続けているうちに、聞く側が「ああまたか」となってしまわないか、と思うこともある。


なにも安全保障に限らず、さまざまな分野で直面する話だろうけれど、「危機感を共有する」のは案外と難しい。「分かっている人」が危機の予兆を見出してアピールしようとしても、予兆ぐらいだとなかなかピンとこないのは無理もない話。

さらに話を難しくしているのは、本物の「危機感」だけでなく、針小棒大に言い立てる「大変屋」や、ときには「虚偽の危機」まで紛れ込んでくること。実のところ、そういう悪貨の方が目立ってしまいがちなので、悪貨が良貨を駆逐して、本物の危機をマスクしてしまうことも起こり得る。

それに、危機が本物らしいと思ったとしても、現実から目を背けようとする人が出てくることもある。また、危機が本物だと困ってしまうからといって、危機を存在しないことにしてしまおうとする人が出てくることもある。

誰の発言だとはいわないが、「中国が民主的になった」発言なんかは、前者と後者がない交ぜになった一例ではなかろうか。

かように、危機感を広く共有してもらうのは難しい。となると、危機感をどう伝えるかが問題になってくる。

そこで思うのは、やたらと大声を上げる、ヒステリックに (騒ぎ立てる | 煽り立てる) のは、むしろ逆効果じゃないのかということ。

刺激が強い方が効く、と考えてしまいがちだけれども、刺激にはいずれ慣れてしまう。あるレベルの刺激に慣れると、もっと強い刺激でないと反応しなくなる。過去にもしばしば使っている言い回しだが、エロと同じである。

たぶん、活動家の業界が理解していないのがこの点。あの業界は大声を上げてナンボ、騒いでナンボのところがあると思っているけれど、それは決して味方や同調者を増やす方向につながらない。現に、往々にして成果が上がらずに少数派に留まっている。

ただし、ハナから味方を増やすことなど考えていなくて、騒ぐこと自体が目的、騒いでいるところをマスコミに取り上げてもらうことが目的だというなら話は別。


結局のところ、この手の話は個人個人の受け止め方・感覚による部分も大きいので、一挙に全体状況をワッと動かそうとするのが、そもそも無理なのでは。淡々と事実を積み上げて、淡々と理解を広めていくのが、遠回りなようでいて、いちばん早道なんじゃないかと。

なんてことをいうと「そんな悠長なことをやってる場合か !」といきり立つ人が出てくるのは、まぁ間違いのないところ。でも、そうやっていきり立つ人が世の中をワッと一気に動かせるかというと、それはまことに疑問がある。

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