Opinion : 科博のクラウドファンディングのこと (2023/8/7)
 

「国立科学博物館がクラウドファンディングで資金集め」という話が流れてきたかと思ったら、「初日で目標額を達成」と来た。

この件、人によって反応がさまざまなようで、賛否両論、喧々囂々、侃々諤々。じゃあ、それをこうやってネタにしている自分はどうなんだと問われれば、「条件付き賛成」となる。


博物館でも研究機関でも学校でも、寄付金集めに奔走するという話になると、アメリカでは普通に行われていること。「ドカンと寄付してくれた人がいたので、その人の名前を施設の名前に冠することにしました」なんていう話もあるぐらい。

阿川尚之氏が書いていたものを参考にするならば、これは「なんでも国に頼りすぎるのをヨシとしないお国柄」ということであるらしい。

確かに、「おカネを出すなら口も出す」というのはよくある話。もしも国におカネを出してもらうということになれば、それは国に口出しの理由を与えることでもあると。そういうロジックは理解できる。

だから、何かというとすぐに国に支援を求めるのではなくて、自分で資金集めをやる。その代わり、国は国で、そうやって寄付した分を所得控除の対象にする仕組みを用意する。間接的に「寄付金で回す手法」を支援しているといえる。

我が国にも寄付金控除という制度はあるけれども、対象はけっこう限られている。この辺は鶏と卵の関係みたいなところがあって、「寄付で回すやり方が普及してきたから税制の面から支援しましょう」となるか、それとも「税制の面で支援するから寄付で回すやり方を広めてよ」となるか。

ただ、所得控除の対象を増やす話になると、あの銭ゲバ国税庁があっさり肯んじるとは思えないけれど。まあ、それはそれとして。

今回の場合、主役は博物館。博物館という組織、寄付金で回すやり方とは相性がいい部分があるかも知れないなあとは思った。なぜかというと、資金を確保した結果を、コンテンツの維持あるいは見せ方という形で、広く、分かりやすい形でフィードバックできるから。

ただしこれ、判断を誤ると「多数が求めているもの」に流れてしまって取りこぼしが出るリスクもあるので、そこは意思決定者の識見が問われるところ。

これが研究機関だと、研究の成果がフィードバックになるんだろうか。ところが、これは、理解できる人とできない人の違いが大きく分かれてしまう。どこの業界とはいわないけれども、即物的に役に立たないものを理解できない人。あるいは、自分が理解できない分野のことは役に立たないことだと思ってしまう人。どちらも、普通にいそうではある。

まして大学みたいな教育機関になると、その場ではなかなか成果が可視化されない。教育の成果が出るのは 20 年後だよ、といったのは鈴木貫太郎だったか。本当に 20 年かどうかはともかく、成果が出るのに時間がかかるのは確か。だからこそ、すぐに結果が出なくても継続的に取り組まないといけないのだろうけれど。

そこでいきなり自分語りを始めると。学生のときに空き時間があると図書館にこもって、あれこれ読んだり調べたりしていたことが、実は今の仕事にもけっこう効いてきている。詰め込みが効くのは若いうち、詰め込みができるのは若さの特権。

といいつつも、そういう生活をしていたことで失ったものも、それなりにあっただろうなぁとは思っている。

よくよく考えたら、その図書館にどれだけ資料を揃えられるかも、多分にカネ次第のところがある。いつ誰が読むとも知れない図書館の蔵書に、きちんとおカネをかけられるかどうか。たまたま、自分が通っていた大学の図書館にはジェーン年鑑が揃っていたのだけど、数多の学生の中で、あれに飛びついた人が何人いたのだろうか。それでもちゃんと揃えてくれていたことには感謝しかない。


「国立」博物館なんだから国がちゃんと面倒みろよ、という言い分にも一理はある。しかし一方で、自らの意思に合わせて使える資金を自ら集められる仕組みができたら、それはそれでいいんじゃね ? とも思う。自分で努力して集めた資金の使い方まで霞ヶ関の Z に口を出させるこたぁない。

もちろん透明性というか、説明責任というか、そういうのはついて回る。でも、クラファンで集めた資金をいい加減な使い方したら、結局はその後に資金が集まらなくなるであろうし。国の資金と自分で集める資金と、うまいこと両立できたらいいのではないかと思うけど… でもやっぱり税制面の支援は要るでしょ、あ ?

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