Opinion : 東日本大震災 - 本当に風化させてはいけないこと (2024/3/11)
 

なぜかうちには妙なジンクスがあって、「自分が東京を離れていると、首都圏で地震が起きる」という法則がある。必ず発生するわけではないものの、そういう場面がチョイチョイある。

もっとも、それは単に自分のお出かけ頻度が高いから、それが地震の発生とマッチしやすいだけじゃないの。という説もあろうけれど。


地震といえば、これを載せるのは 3 月 11 日。言わずと知れた東北地方太平洋沖地震の日。すると毎度の恒例で、新聞・テレビは「記憶を風化させるな」「語り継げ」の連呼となりがち。実はこの辺の言説に、微妙な違和感というか、モヤモヤを感じているところがあって。

まず、この「記憶を風化させるな」「語り継げ」の連呼が、すべての自然災害を対象としているわけではないこと。必ずしもすべての災害についてこれをいっているわけではないわけで、被害の大小で差をつけるわけ ?

あと、その「風化させない」「語り継ぐ」の内容。「こんなに悲惨な出来事がありました」。それはそう。ただ、その悲惨な出来事を繰り返させないために何が必要なのか。それこそが必要なことなんじゃないのかと。

「人工地震」なんて寝言を、大真面目に信じ込んでいるスットコドッコイのことは措いておくとして。

自然災害の発生は人為的にコントロールできるモノではないから、「災害を起こさない」とはいかない。でも、災害が起きたときの被害を抑える工夫はできる。それは、兵庫県南部地震以来の新幹線のあれこれを見れば理解できる話。過去の地震災害で発生した被害事例を基にして、どうすれば同じ被害を繰り返さずに済むかを考えて、実行してきた。それの繰り返しと積み重ね。

仕事で、JR 東海で脱線防止ガードの研究に携わった方にお話を伺ったとか、構造物の地震対策についてお話を伺ったとかいう経験がある。皆さん、本当に真剣に研究や対策に携わっている。同じ被害を繰り返させないために。

あと、たとえば避難ひとつとっても、「こういう判断をしたら助かりました」とか「こういう行動がヤバかったです」とか。そういう知見の積み重ねが人命を救うことになるわけでしょ。

そうした取り組みこそが本当に大事であり、風化させてはいけない話なんじゃないかと。同じ判断ミスを繰り返して、同じように犠牲を出すことになったら、過去の災害で亡くなった方は浮かばれないんじゃないかと。

さらに書くならば。大きな自然災害が発生したときに、どういうデマが、どういう流言飛語が発生して、どういう悪影響を引き起こしたか。どういう悪党が便乗して、どんな悪さをしたか。そういう事例だって再発防止の対象になる。


「風化する」といえば、その最たるモノは個人レベルの災害対策じゃないかと。非常食の確保にしても家具の転倒防止にしてもなんにしても、大きな災害があると話題になるけれど、そのうち忘れ去られたり、「面倒だから」といって対策が疎かになったりする。

うちは家具の転倒防止にこだわっている方だと思うけれど。それでも、東北地方太平洋沖地震では対策が甘かったところを突かれて、スチールラックからモノが落ちたり、揺れでズレた書棚から本が流出したりした。だからその後で対策を強化したし、昨年に収納キャビネットを増設したときも、しかるべき手は打った。

それ故に、お出かけ中に首都圏が地震に見舞われても「震度 3〜4 ぐらいならへーきへーき」と余裕をかましているし、実際、帰宅してみると被害は皆無。落下・転倒したモノはひとつもない。もっとも、震度 5 以上になったらどうなるか、とは思うけれど。

13 年前に自宅で発生した事態を風化させずに、ちゃんと手を打ち続けているからこそ、余裕をかましていられる。でも、災害というのは「意地悪婆さん」みたいなところがあって、手を打ち忘れているところ、見落としたところを突いてくるもの。だから、油断は禁物なのだろうなぁ。

それよりなにより問題なのは。以前は、寝ているときに地震が起きると初期微動の段階で目が覚めたのに、最近は本震が来ても寝てること (あとで Twitter の発言を遡って、地震が起きたことを知る)。しかし、どう対策するかと訊かれても答えようがない。

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