Opinion : iPad の "プレス" 動画について考えてみた (2024/5/13)
 

物議を醸した挙句に、結局、謝罪に追い込まれた iPad のプロモ動画。

楽器などをプレス機で押しつぶして、最後にそこから薄い iPad が出現する。「さまざまなデバイスと同じことを iPad ひとつでできます」「新型 iPad は薄くなりました」とアピールしたいという狙いを表現しようとしたんだろう、という狙いは分かる。狙いは分かるんだけれども。

しかし一方で、つぶされる楽器を見て胸が痛んだのも事実。ところが妙なもので、それより少し前に動画が流れてきた「使い古しのクルマを崖から落とす、アラスカの奇祭」は笑って見ていられた。

あと、用廃になった軍艦を SINKEX で沈める映像も、「あーあ撃沈されちゃった」とは思うものの、iPad のプロモ動画を見たときの「胸が痛む」とは異質の感覚であったと思う。廃車になった鉄道車両が重機の餌になる映像も、似たところがある。

もちろんこれらは「個人の感想」です。


で。同じようにモノが壊されるのでも、こんな風に受け止め方が違ってくるのはなんでだろう。というのが今回の本題。

「モノにも神が宿るという思想がある」とか「愛着があるモノを壊されれば不快感がある」という論もあり、それはそれでアリなのだろうなと思った。ことに楽器は、それを使う演奏家にとっては自分の分身みたいなものであろうし。

けれど、それだけではないようにも思えていて。

アラスカの奇祭だって、壊されるクルマが現役だったときにはオーナーがいて、(たぶん) 大切に乗っていたのだろうに。かくいう自分自身、自分が乗っていたクルマが追突事故でオシャカになった経験があり、その残骸写真を見れば胸が痛む。でもそれは、iPad のプロモ動画を見たときのそれとは違う感覚。はて、どうして感じ方が違うんだろうかと。

そこでひとつ考えたのは。同じように「モノが破壊される」のでも、それが本来の機能を発揮して、あるいは本来の機能を全うして破壊されるのは、まぁなんとなく納得できる部分があるんじゃないかということ。

SINKEX の標的艦は、その典型例。抑止力 (ときには本番も) としての務めを全うした上で、最後に後輩の艦や乗組員のために我が身を投げ出して、最期のお務めを果たして海底に沈む。いかにも「いくさブネ」らしい最期ではある。余計なことを書くと、沈んだ後は魚礁になっていそうでもある。

アラスカの奇祭にしても、自分のエンジンで走って崖下に墜ちていくところがキモなんじゃないだろうか。つまり、クルマがクルマとして機能している。あれが、人間が押して崖下に放り出すのだったら、また受け止め方が違ったかも知れない。

事故でオシャカになったうちのアルテッツァ (1 台目) にしても、「あーあ」と思った一方で、「衝突安全ボディが見事に仕事をしてくれたもんだな」という感慨もあったのは事実。「よくぞ守ってくれました」というか。もっとも、最後に路肩で止まったとか、火が出なかったとか、運に恵まれたところもあったにしても。

重機の餌になる鉄道車両にしても、たいていの場合、本来の用途で務めを全うした上で壊されているわけだし。あと、発生した廃材がリサイクルされる部分もありそうで (特にアルミ車)、それはある種の輪廻転生のようでもある。破壊のされ方は、確かに無残だけれども。


じゃあ iPad のプロモ動画はどうなんだという話。プレス機でつぶされる楽器などのあれこれは、みんな「本来の機能を果たしながら、あるいは果たしきって」つぶされてるわけではない。極言すれば、「もうレガシー デバイスは要りません」の代表選手みたいな扱い。

そういう作り手の意図が映像に現れていて、それが見る人に不快感を引き起こしたんでないの。という仮説にたどりついた。言い方を変えれば、あそこには「つぶされるモノに対するリスペクト」がないというか。

しかも、よりによって「クリエーターの道具」と見做されることが多い製品を手掛けているメーカーがそれをやったことで、不快感にターボ ブーストがかかったんじゃないかと。直接やったのは製作担当会社だけれど、承認した側も同根である。

この言葉を使うといきり立つ人が出そうではあるけれど、どちらかというとあれは「焚書」に近い形だったんじゃないかと (レガシー デバイスを排斥するという意味でね)。それがにじみ出て反感を買った部分もあったんじゃないかしらん。

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