Opinion : 話題性とリスク評価の関係 (2025/6/9)
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ときどき「新幹線に乗ったら、クソデカスーツケースを持ち込んでいる外国人観光客がいて、こんな不快な思いをさせられて云々」という話が流れてくる。荷物をどかさないとか、指定席を勝手に占領しているとか、まぁいろいろ。
個人的には、その手の「隣席ガチャ」で大ハズレを引いた経験は、ほとんど記憶にない。なにせ、お出かけの回数という分母が大きいので、皆無と言い切る自信はないけれども。ただ、頻繁に不快な目に遭っているわけではない、とは断言できる。
この手の話で難しいのは、「話題になっている数 ≠ 実際に発生している数」であること。ただし一方で、「そんな話はでっち上げ、発生していないだろう」と主張するのも無理がある。一日に数百本もの列車が走っていて、それぞれが定員 1,300 人オーバーの海幹では、総座席数は四十何万席とかいうオーダーに達するのだから。
分母がそれだけ大きければ、中にはいかれた乗客がいても不思議はない。ただ、いかれた乗客に遭遇しなければ、何も話題にはならないわけで、そういう話は広まらない。いかれた乗客に遭遇した話だけが流布されるし、目立つ。
といった状況下で、「いかれた乗客に遭遇する可能性がある隣席ガチャがあるから、新幹線には乗らない」というのも過剰反応に過ぎる。いかれた乗客が発生した件数がいくつか、あいにくと統計データは手元にないけれども、果たしてそんなべらぼうな数 (1 日あたり何百とか何千とか) のオーダーに達するのかどうか。
ついでに余計なことを書くならば、新幹線ならせいぜい数時間で済むけれども、長距離国際線だと 10 時間オーバーということだってあるんだぞ…
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「確率としては低いけれども、遭遇したら嫌だな」という種類の話は、なにもこれに限らずたくさんある。極端な話、お出かけ中に大地震に遭遇して電車が止まる可能性だってある。乗ってる飛行機が事故る可能性だって「絶対ない」と断言するのは無理がある。可能性は極めて低いにしても。
そういえば、東日本大震災が発生したときの自分がまさにこれだった。幸いにも、自宅最寄り駅の隣駅まで戻ってきたところで発災して電車が止まったので、徒歩で帰宅できたけれども。でも、別に災害を予期して早く帰ったわけではなくて、単なる偶然。運。確率の問題。
でも、だからといって「出先で事故や災害の合うのが嫌だからお出かけしない、自宅に引きこもる」とはならないのが一般的な反応でしょ。実のところ、「隣席ガチャ問題」だって同じじゃないのかと。
東日本大震災は極端としても、輸送障害・ダイヤ乱れ・旅程崩壊リスクというのもある。でも、お出かけヤクザの皆さんに限らず誰でも、漠然としたイメージで「輸送障害・ダイヤ乱れ・旅程崩壊リスクが怖いからお出かけしない」とはならないのでは。明確にそれを予期させる事情 - たとえばデカい台風が接近してきてるとか - なら、話は別だけれども。
この種の話を一般化すると、「実際に発生する可能性、遭遇する可能性はともかく、目立つ、キャッチーな話題として飛び込んでくると、それが明日にも我が身に降りかかってくる問題として認識されてしまい、過剰に反応して心配してしまう」というところに落ち着くんじゃないかと。
一方で。人間の心理というのは面白いもので (いや面白くない)、起きて欲しくないことは起こらない、と自分で自分に信じ込ませようとする場面もある。あえて書いてしまうならば、有事想定の類なんか典型だと思う。
してみると、同じように「起きて欲しくないこと」に分類される事象でも、そのスケールの大小によって、反応が違ってくるのかなぁと考えてみた。でも、自然災害、とりわけ地震なんていうのは、自分でコントロールできる領域のものではない。となると、この仮説は不成立。もうちょっと考えてみるかなぁ。
ともあれ、「起きて欲しくないこと、遭遇したくないこと」は誰でもいろいろある。そこで、たまたまキャッチーな形で話題になったからといって過剰に反応するのは、リスク管理という見地からしてどうなんだろうと。現時点で書けるのはここまでになりそう。
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