Opinion : 大災害の予言と理科の話と地図の話と (2025/7/7)
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「2025 年 7 月 5 日に日本で大災害が起きる」という与太を真に受けた人がいて、中国方面から日本に来る観光客が減ったとか、日本人でも真に受けて騒ぎ立てた人がいたとか。みんな飽きないねえ。
そして当然ながら、7 月 5 日が過ぎても何も起きなかったわけだけれども。
以前からいろいろな形で、この手の「大災害の予言」に類する話はあって、それらはみんな当然ながら空振りに終わっている。中には、こうした「災厄に関する予言」とか「終末論」の類を信者集めに利用するカルトみたいなのもある。
その終末論の話については、以前に書いたことがあったような気がするので、今日は別の話と紐付けることにして。
それが例の「社会に出たら理科の勉強なんて役に立たない、と思っている高校生が○○パーセント」のニュース。
理科に限らず、たとえば微積分の類などでも、「そんなの社会に出たら使う機会がない」と主張する向きは以前からいる。でも、自分が直接的に使うことがなかったとしても、自分の日常生活を便利に、安全なものにする場面で、学校で習うあれやこれやが活躍していることは頻繁にあってだね。
とかいってたら別件で、「地理を選択科目にしてからこちら、地図を読めない人が増えた」というニュースも出てきた。なぬ、「カーナビやスマホで道案内してくれるんだから、地図なんて読めなくても困らない」? ちっちっちっ。違うんだなこれが。
これも以前に書いた話になるけれども、スマホの地図による経路案内にしろ、あるいはカーナビ (特にヘディングアップ表示×拡大スケール) にしろ、いわれるがままに使っていると、「目の前の状況」しか分からない。
いわれるがままに右に曲がったり左に曲がったりして、それでも目的地には安着できるかも知れない。でも、それでは道を覚える役に立たないし、結果として自分の頭を使わなくなる。
さらにいえば、「全体状況の中で自分がどの辺にいるのかを俯瞰して、状況を把握した上で、この後にどうするかを決める」という修練ができない。だって目の前の狭い範囲の状況しか見てないんだもの。という話は以前に書いたことの繰り返しか。
案外と、そういう話も「地図が読めない」に影響してるんじゃないだろうか。いいかえれば、地図を使うということは、俯瞰的に物事を眺めて状況を把握する経験を蓄積する役に立っている。のかも知れない。
で、理科の話に戻すと。理科を学ぶということは、科学について学ぶことであると同時に、科学の限界を知ることにもなってるんじゃないかと。ちゃんと理科の勉強をしている人なら、「今の科学では、日付や場所までピンポイントで指定して災害の予測をするなんてことは不可能」と分かりそうなもの。
ニセ科学やインチキ商法にひっかからないというだけでなく、インチキ終末予言にひっかからないためにも、理科の学習、サイエンティフィックなモノの考え方って大事なんじゃないかなあと。
そういえば、「自然の放射能はいいけど人工の放射能は駄目」みたいな寝言をいっている人もいたっけか。
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たまたま、タイムリーなトリガーが降ってきたので理科と地図の話を肴にしたけれど、学校で習う他の物事も、似たような話はあると思う。ただまあ、体育の授業に関してはいいたいことがあるけれども、それはまた別の話なので。
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