Opinion : 本当に問題にしないといけないのは目的 (2025/10/27)
 

相変わらず、「今は戦前だ」という類の煽りをする人がいるらしい。ええかげん、狼少年と見做されているのではないかと思うのだけれど、相も変わらず、同じようなフレーズを繰り返している。

その場の状況や有効性を考えずに、同じ「勝利の公式 (と信奉しているもの)」を繰り返している様は、いつぞやの、どこぞの国の軍事組織を思わせるものがある。

この手の「戦争が起きるぞ」と煽る形の反戦の主張は昔からある手法だけれども、よくよく考えてみれば、これには重要な視点が抜け落ちているのではないか。というのが今回のお題。


国家が武力に訴えるのは、それを行使することで何かを達成したいから。武力行使はそのための手段であって、それ自体が目的というわけではない。「○○は戦争をしようとしている」という類の主張は、そこのところで齟齬を起こしている。

問題なのは、「何を実現しようとしているか」「そのための手段として武力行使が最善の選択肢、あるいはもっともマシな選択肢といえるのかどうか」であるはずなのだけれど、なぜか手段の話ばかりしている。

これは、実際に戦争が起きてしまった場面にもいえること。敵軍をひたすら殲滅し続けていれば戦争に勝てるのか。そうじゃない。それは手段であって目的じゃない。敵国が軍事力を用いて達成しようとしている「何か」を阻止しなければならない。

そこのところを間違えると、海戦をやった後で「敵艦をいっぱい沈めたのでヨシ」みたいな勘違いが起きる。いくら敵艦をいっぱい沈めても、敵軍の作戦目的を阻止できなければ、戦争に勝つことにはつながらない。

という話は、前にもどこかで書いたような気がするけれども。ともあれ、この考え方を敷衍するならば、「戦争反対」を唱える際にも、違う話の持って行き方があるんじゃないですかね。

たとえば現在進行形の話だと、プー 1 号が仕掛けている侵略戦争。もちろん侵略戦争という行為そのものがよろしくないのだけど、それは「手段」の話。その「手段」を通じてプー 1 号が何を達成しようとしているのか、それは果たして正しい目的なのか。それこそが本来の攻めどころなんじゃないですかと。

それはなぜか。

単に「戦争は駄目」だけだと、プー 1 号が「特別軍事作戦」と称する行為で達成しようとしている何らかを、軍事力を用いた侵略行為以外のやり方で実現するなら許容されるんですかね ? という話になりかねない。んなわけないだろ。

達成しようとしている何らか、それ自体が不当なものであるならば、どんな手段を用いようが、それは不当な行為。なんだけれども、武力行使という手段がいけません、だけの論法に持ち込むと、達成しようとしている何らかの正当性に関する話が抜け落ちてしまう。

それはプー 2 号にもいえることで、「一方的に力 (それは武力行使とは限らない) による現状変更という目的を実現しようとするのはおかしい」こそが本筋。

もしもですよ。武力による現状変更が駄目、だけ連呼した結果として、武力に依らずに現状変更に成功するようなことにでもなれば。それこそもう、目も当てられない結果である上に、まことに良くない前例を作ることになってしまう。


作戦用務の話じゃあるまいし、「手段」と「目標」「目的」を区別して考えろ、といわれても、頭痛が痛くなりそうな話ではある。でも、これは物書き業をしていると大事なポイント。手段の話にばかりのめり込んで、それ「だけ」書くのは問題があると思っていて。

たとえば何か新しい製品、新しい機能、新しい設備が出てきたときに。そこで「こういうものが出ます」だけでなく、「それを通じて何を実現しようとしているのか、どんな価値を提供しようとしているのか」まで考えないといかんだろうなと。

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