Opinion : 高齢者とスマホと認知戦 (2025/11/10)
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先日、「実は高齢者の方が認知戦にひっかかりやすいんじゃないか」という話が流れてきた。なんとなく納得のいく話ではある。
認知戦云々は別としても、現役を外れるなどしてヒマになった高齢者が、Youtube でいかれた内容の動画を見まくってしまい、おかしな陰謀論などにハマる事例がある、との話をチョイチョイ耳にする。
その手のいかれた動画を何かひとつ見ると、「それに関心があるんじゃないか」といって似たようなのを次々に提示してくるのは「おすすめ」アルゴリズムの定石であるから、いかれた動画に染められる可能性はさらに高くなる。
ただ、それだけの話でもないよね、というのが今回のお題。
それまで、自分の周囲の人間関係だけで構成される、比較的「狭い世界」で暮らしていた人が、いきなり「全世界とつながってしまうデバイス」を手に入れて「全世界とやりとりできる状態」に放り込まれたら、どうなるだろう。
全員が全員、そうなるとはいわないにしても、中には道を踏み外す人が出てきてもおかしくない。バソ通や BBS 前世紀からネットと関わってきて、段階的に世界が広がり、その中でいろいろ成功したり失敗したりしてきた人と比較すると、順応が難しい。
その「落差」の大きさ故に、「こんな世界があったのか !」「こんな物の見方があったのか !」と衝撃を受けると、どうなるか。そこで道を踏み外すかどうかは、当人の識見に加えて、置かれた環境、置かれた立場も影響するんじゃないかと。
そういう意味で、いちばん始末が悪いのは、世の中に対して不満憤懣を溜め込んでしまっている人じゃないかと思う。わかりやすくいえば、毎日のように「日刊ゲンダイ」あたりを肴にして床屋談義を展開して、憂さを晴らしていたような人は危なそう。
従前ならば、自分の身のまわりでブツクサいっているだけで済んでいたものが、いきなり全世界を相手にブツクサいえるツールを手に入れてしまったらどうなるか。そりゃもう、その後の展開は容易に想像がつくというもの。名指しはしないけれども、そんな SNS 投稿を日夜展開している人、現に存在するわけでしょ。
そこに、御本人にとって耳当たりのいい、受け入れやすい話を吹き込んで「おすすめ」してあげたら、さらにブーストがかかることになる。
そして、自分の境遇や、今の日本の状況が気に入らなくて、憤懣を滾らせているような人こそ、つついて煽って分断を仕掛ける認知戦のターゲットとしては、実に都合がよろしい。燃料を投下して点火してやれば、後は自分で勝手に燃え上がってくれる。
そういうときに、陰謀論は格好のツールになる。なぜなら、以前から書いているように、陰謀論というのは不満・憤懣を正当化する手段、「目覚めたひとかどの人物」と思い込ませる手段として、まことに好都合だから。
そして人間、歳を食ってくると頑固になりがちであるし、自分が信じてきた物事、自分が信じてきたやり方以外は受け入れられなくもなる。ならば、それを肯定して補強する燃料を投下してあげれば、そりゃあ喜ぶって。
だから、「本当は自分は凄いんだぞ」「我こそは正義なり」みたいな意識を肥大化させて、それと現実とのギャップに悶々としているような人は、もっとも危険。これは年代に関係なくいえることだけれど、まだ前途が・将来がある人と比べると「これまで過ごしてきた人生に対する不満憤懣」を抱えている人の方がタチが悪い。
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そしてなぜか、そういう人はえてして「自分が何かいえばみんな賛同してくれる」と思っていて、異論・反論が存在することを考えない。だから異論・反論が飛んでくるとブロックして、エコーチェンバーの中に閉じこもる。手のつけようがない。
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年少者に対しては、オーストラリアやデンマークで「○○歳以下は SNS 利用禁止」みたいな動きが出てきているけれども、反対側については「××歳になったら SNS 利用禁止」とやるのはあまり現実的ではなさそう。それに、個人がネットで接したあれこれに対してどう反応するかを、外からコントロールするのは人権問題。
ひとつ、何か現実的な対応があるとすれば、「ネット浸り」にさせないことかも。「回線切って首吊って (ry」ではないけれども、サイバー スペースではなくてミート スペースで熱中できること、楽しめることを持つようにするのが、もっともマシな対処なのかも知れない。朝から晩まで SNS でクダを巻くようになったらおしまいである。
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