Opinion : 突っ込みどころはそこではない、という話 (2025/12/22)
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政府関係者の「核兵器の保有」に関する発言。オフレコという前提だったのに、どこぞの誰かが記事にして、しかもよくあるパターンで、刺激的なところだけ切り取って騒ぎを起こす。すると、マスコミ各社や野党が乗っかって「首を取るビジネスモデル」を始める。様式美である。
そこから「オフレコにはいろいろ種類があって」とかいう方向に話が脱線して… というか、記者サイドによる自己正当化が起きているのも、また様式美。どういうわけか、SNS で積極的に発言する新聞記者というのは、「自分たちが慣れ親しんできたやり方」を擁護しようとしては燃える傾向があるように見える。
その辺の話はまぁそれとして。
一連のあれこれをなんとなく眺めていて思ったのは、「底が浅い話をしているなあ」というところ。とどのつまり「問題発言を暴露して騒ぎを起こし、首を取れればそれで良し」だから、そういうことになるんじゃないんですかと。
でも、核兵器の保有について論じるのであれば、もっとマシな突っ込み方があると思っていて。
これは核兵器に限ったことではないけれども、「持っている」だけでは抑止力にならない。なんだけれども、どうも「形のあるもの」に囚われがちな我が国の安全保障関連論議。核兵器が相手でも事情は変わらず、「核兵器を持つこと」そのものが騒ぎの中心に位置してしまっている。
実は「持つこと」自体のハードルも高くて、材料の入手に始まり、開発・製造すること、そしてそれが実際に機能することを確認する手段や、そのための道具立て。仮にモノができあがったとして、それを目的地まで運ぶための運搬手段。物理的なモノの話だけでも、超えなければならないハードルはいろいろ。
でも、そこら辺の話をすべてクリアしただけで「抑止力」として機能するのか。個人的には「否」だと思っていて。実はその先に、もっとめんどくさい、紛糾間違いなしの、厄介なタスクがある。
それは何かといえば、「核ドクトリン」というやつ。要するに、「我が国の安全保障において核兵器をどう位置付けて、どういう状況のときに使うつもりなのか」という類の話。
「使われたら惨事になるから抑止力」という考え方もあろうけれど。でも実際のところ、「どういう状況になったら使うのか」が分からなければ、相手が勝手に「ここまでならやっても大丈夫だろう」と推論して、良からぬ結果になるやも知れず。
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抑止ってそもそも、そういうものなのでは。「この線を踏み越えたらやり返される」というレッドラインを分からせなければ、相手は踏みとどまるべきポイントを理解できない。
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通常戦力にもいえることだけれども、目指すべきエンド ステートと、それを達成するための考え方、思想が明確になっていなければ、優れたハードウェア、高威力のハードウェアだけあっても役に立たなくなる。
だから、そういう観点から「核保有論」にツッコミを入れられる記者はいねぇのか。と、そういう話。そういう観点から攻めるという発想がなくて、毎度恒例・伝統墨守・唯我独尊で「問題発言を暴き立てて首を取ること」しか考えない。野党やマスコミがそんな調子だからダメなんだろう、と。
しばらく前の選挙のときに某党から出てきた「ドローン武装論」みたいなのもそうだけど、ハードウェア偏重、眼で見て分かるもの偏重のマインドセットは、そうそう変わるもんじゃないのだなぁと。「何を持つか」だけの話じゃなくて、「どう使って何を引き出すか」が本当の問題だというのに。ふう。
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