私は GOA に救われた : 事の顛末
 

これは、2000 年 9 月 12 日に発生した、我が人生における (現時点での) 最大事件の記録である。


2000 年 9 月 11 日午後、帰省先の実家 (九州某所) からクルマで帰宅の途についた。高速に上がったときには曇り、関門海峡付近では雨だったが、山口県内に入ってからは再び曇りに戻った。
関門海峡横のめかり PA、山陽道に入って下松 SA で休憩。広島を通過して小谷 SA で給油し、「おー、ここでバスジャック犯相手に突入したのか」と現場を確認し、さらに東上。

出発の時点で大雨の可能性が予測されたため、いつでも途中で逃げ出せるように、山陽道をチョイスしていた。とはいうものの、それほど酷い雨にも見舞われず、岡山の吉備 SA で休憩した時点では、まあ普通の雨だった。

普通が普通でなくなったのは、その後、兵庫県内に突入した辺りから。西宮名塩 SA で休憩したときには、相当に激しい雨になっていた。そして、名神高速に入る頃には路面はヘビーウェット状態に。多賀 SA で給油した際には大雨になっていた。

本来なら、「レストイン多賀」で一眠りを決め込めばよかったのだが、あいにくと「レストイン多賀」は下り線側にある。大雨をおして遠方の下り線側まで移動するのも憚られ、さらに東進を決意。すると、大垣付近で発生した渋滞に巻き込まれ、相当な時間を冗費してしまった。
(この頃、それほど離れていないところで、妹は新幹線の中に缶詰になっていたそうである)

渋滞を抜けたところ、なんと東名高速は「小牧から先が通行止」という事態に。かくして、意図せざるところながら、小牧 IC で強制的に一般道に降ろされてしまった。
そこで、その時点では「生きていた」中央道めがけて進撃すべく、多治見 IC に目的地を設定 (小牧 JCT-多治見 IC 間は通行止)。

ところが、この小牧-春日井-多治見の一帯では、道路があちこちで冠水したり通行止めになっていたりという有様。だからといって前進を止めれば、さらに収拾がつかなくなる。ところどころで冠水した一般道を這いずり回って、なんとか多治見 IC で中央道に上がることに成功した。
このとき初めて、冠水した道路を走るというのを経験したが、あれは意外と抵抗が大きい。アクセルを緩めると、そのまま止まってしまいそうだ。


東名が閉鎖されているので、中央道は東名からダイバートしてきたトラックだらけ。この連中ときたら、大雨で 50km/h 規制だというのに 100km/h 前後のスピードで突っ走ってくれる。おかげで、トラックに抜かれる度に 50-60km/h で走行中の当方はウォータースクリーンに突入する羽目になり、普段の三倍くらい疲れた。

中央道突入後、恵那峡 SA で休憩。その後、かなり疲れが感じられたので、恵那山トンネルを抜けた先の阿智 PA で仮眠した。普段ならトンネルは好かないのだが、トンネルに入るとホッとしたぐらいだから、いかに凄まじい雨だったか分かるというもの。しかも、長野県内突入後は雨に加えて霧まで出てくる始末で、ヘッドライトとフォグの全点灯状態でもヒヤヒヤもの。

阿智 PA を出発後、霧の中を慎重な上にも慎重に走りつつ、諏訪湖 SA にたどり着いた。ここで休憩した後、さらに慎重になりながら走行車線をゆっくり走る。特に諏訪南 IC を過ぎると韮崎 IC まで路面がコンクリート舗装になり、雨の日は滑りやすいと予想されたため、さらにペースを落とした。

とはいえ、この区間は諏訪南付近の「中央道最高地点」から延々と緩い下りが続くので、ついスピードが出てしまう。ボンヤリしていると 80km/h ぐらいに達してしまうので、その度にアクセルを緩めて 50km/h 付近まで落とすということを繰り返す。

その下りが続く区間で最大の要注意ポイントが、須玉 IC 手前の急カーブ。なにしろ、中央道はよく走っていて「庭」のようなものだから、どこが危険かは承知している。長坂 IC を過ぎた辺りで再びペースが上がり気味になっていたので、アクセルを緩めてゆるゆると減速した。

減速後に後方を確認したところ、後ろからトラックのヘッドライトが急接近。かなり接近しているように見えても、過去にはいつもギリギリで回避して追越車線に移ってくれていたのだが、「それにしてもこいつ、接近し過ぎじゃないか」と思った瞬間、それは発生した。ときに 2000 年 9 月 12 日、午前 4 時 47 分頃のことである。

ド ン

という音とともに、いきなりクルマが左にスピンした !
(ちなみに、現場の地図はこちら)


いくら私が鈍感でも、何が起こったかの想像はつく。
「あ〜、やってもうた〜」と思いつつも、反射的にステアリングは必死になって押さえていた。この辺は、もてぎで経験していた「スキッドリカバリー」のなせる技だが、右足がアクセルとブレーキのどちらを踏んでいたかは定かでない (爆)。

暗闇の中での追突・スピンである。怖くないわけがない。ただ、前後から「ドン」だの「グシャ」だのと騒音が発生していたので、「とりあえず、ボディがうまく潰れてくれれば助かるだろう」とは思った。
結局、数回のスピンと衝撃の後、右後部から路肩に突っ込んでクルマは停止した。この手のイベントの常で意外と長く感じたが、本当は数秒程度の出来事だったのだろう。

停止後、まず真っ先に、自分の身体の無事を確認。首と右肩が少し痛んだが、大怪我はしていない。追越車線を通過するトラックの音が凄いと思ってよく見たら、後ろのガラスが割れていた。しかし、自分のいる運転席は無事だ。
次に周囲の状況を確認。本線を塞いでいたら二次被害誘発間違いなしだが、幸いにも追越車線は完全に空いている。火災も発生していない。エンジンも止まっている。

相変わらずの大雨だったので、とりあえず車内にとどまり、状況を確認できたところで携帯電話を取り出して 110 番通報。すると、「キロポストはどの辺だ」としつこく聞かれたのだが、そんなもん知るわけがない。「中央道上り線、長坂-須玉間のオービスより少し手前」と何度もいったのに、納得せず「キロポストはどの辺だ」としつこい山梨県警。

その押し問答の最中に、トラックの運転手氏がやって来た。「発炎筒を焚くから出してくれないか」という。そこで、発炎筒を渡したついでにキロポストの確認を依頼し、結果を山梨県警に報告。(濡れる仕事は加害者にやっていただく :-)

電話終了後、車外に出てみた。前後が潰れているのは当然としても、トランクに入れていた積荷が壊滅したのは大ショック。近くの路上からノート PC の残骸が発見されたときにはガックリ来た。スペアタイヤの脇に入れていた三角表示板なんて、完璧に行方不明。

ひととおり周囲の状況を見た後、雨が酷かったので、車内に戻る。「トラックの方に」ともいわれたが、事故直後だし、何を仕出かすか分からない (うそ) ので、自分のクルマの中に一人にしておいてもらった。

お断りしておくが、運転手氏の事故後の対処は立派なものであった。
後で県警の人に聞いたら、私がなかなか出てこなかったので「死んじゃったのかと思っていた」のだそうだ。

しばらく待つうち、山梨県警のパトカーと、レッカー車などの御一行が到着。県警氏に事故の状況を説明している間に、テキパキと現場の写真が撮影され、クルマの残骸はレッカー車に。そして、県警氏の手で路上から荷物の残骸が次々と回収され、割れたノート PC の匡体、粉砕されたデジカメ、ぺしゃんこになったハードディスクや NIC、ぐちゃぐちゃになったカバンなどが手渡される。
とりあえず、これらはクルマの中に積み込んでおいた。後で、補償交渉用の証拠として活躍することになる。

結局、細々した小物類、それとデジカメから飛び出したメモリースティックだけが、無事に回収された積荷ということになった。そこで、さしあたって貴重品だけを手元に確保。

そして、書類の記入のためにパトカーの中に。ドアが半ドアにされていたのだが、几帳面な私はうっかりしてドアを全閉にしてしまってから、とんでもないことに気が付いた。「しまった、パトカーの後席ドアは中から開かないんだ !!
結局、私と交代で書類を書く羽目になった運転手氏が外から開けてくれたので出られたが、危うく、物笑いの種になるところであった。

ちなみに、トラックはスピンした私のクルマを追い越しながら一度引っ掛けたらしく、左後部のタイヤが外れていたとの由。それでも自走は可能だったので、事故処理後、そのまま目的地まで走り去ったらしい。

本線上の追突。しかも、トラックのタコグラフを調べたら、私が供述した自分のクルマのスピードよりトラックの方が速く走っていたことが証明されたので、100:0 で私の無実は確定。自分が大した怪我もしなかったということで、少しだけ気が軽くなり、警察の人としばらく談笑。
事情聴取の結果によると、居眠りしていて回避が遅れ、追越車線に移る際に私のクルマと接触したということらしい (怒)。

そうこうするうちに現場の片付けが済んだので、私はレッカー車に乗せられて韮崎 IC 近くのレッカー業者の敷地まで移動。事故の直後に須玉から甲府南 (だったと思う) まで通行止になってしまったので、須玉 IC で降りて、韮崎まで一般道路を走る。

当然といえば当然だが、須玉 IC を出る際に、しっかり多治見から須玉までの料金は払わされた。

タクシーを待つ間に携帯電話を取り出し、保険会社と親のもとに第一報を入れる。この時点で、午前 7 時近かったと思う。
その後、呼んでもらったタクシーで甲府駅まで送ってもらい (中央線も、甲府までストップしていた)、最後は中央線の各駅停車で高尾まで移動。その途中、甲府市内もあちこちで冠水していたが、名古屋のニュースの影で、さっぱり話題にならなかったようだ。

高尾駅前のマクドナルドで朝飯を食べた後、京王線で帰宅。その後、近所の医院に出向いて診察を受け、「軽いムチ打ち、右肩挫傷で全治一週間」なる診断を受ける。なんか痛むなと思っていたら、右肩から少し出血していた。スピンしたとき、ドアにぶつけたらしい。
帰宅後にトラック会社から「うちの者が不始末を…」という電話がかかってきたが、トラック会社からコンタクトがあったのは、後にも先にも、この一回だけ。こちらも大した怪我じゃないから「菓子折り持ってこい」なんてことはいわないけど、ちょっと誠意に欠けてないか ?


その後、相手方の保険会社とやりあったり補償額の見積もりをやったり、その合間に小淵沢の県警分駐所まで出直して調書を取られに行ったりと、後始末に追われる日々が続き、半月ほど仕事はストップ。
最初、Netz の人はこれほどの被害と思っていなかったようで、甲府の Netz に入庫して修理という話もあったのだが、結局、修復は不可能と断が下された。

そうこうしている間にも保管料がかさんできたので (確か、一週間を過ぎると保管料を取られる)、スッタモンダの末、現地で廃車と決定。
そこで、9 月末にレンタカーを借りて韮崎のレッカー業者に出向き、残骸から荷物などを回収した際に撮影したのが、前掲の写真というわけ。

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