税務訴訟
 

あらためて決意表明

我々は、「税金」というものについて、あまりにも無知ではないだろうか。

特に会社員は、「源泉徴収」という第二次世界大戦の遺物的制度のため、意識しない間に徴税業務が実施されている。そのため、税制について知らない人も少なくないし、その税金の使い道についても関心が薄い。

しかし、それでいいのだろうか。
税金とは、しかるべき行政サービスを受けるための対価として、我々国民が国家に対して提供するはずのものだ。主役は、我々納税者なのだ。これを「納税者主権」という。我々は、国家の運営費用を提供している「スポンサー」なのだ。

なればこそ、どのように徴税の仕組みが決められているか、そして、どのように徴税された国民の血税が使われているか。そのことに、我々はもっと関心を持つべきなのだ。

しかるに現実はというと、国は「源泉徴収」によって納税者意識をスポイルし、あげく、官僚の組織防衛や田舎政治家の票田獲得、特定政治家の名前を冠した不思議な建物などのために、国民の血税が無駄に垂れ流されている。

しかも、普段は税制について意識しないように仕向けておきながら、税金を取り立てるときには「知らなかったのは理由にならない」と放言する。これが、「公僕」たる国家公務員の吐く台詞だろうか。

その税制にしても、複雑怪奇な制度の中にいろいろ抜け穴があり、その抜け穴を知る者、あるいは課税庁とのネゴによって抜け穴を得た者が得をする。

逆に、課税庁は納税者の知らないところで落とし穴を掘っておいて、ある日突然、善良なる納税者に対し、追徴課税のみならず、あまつさえ延滞税や過少申告加算税まで課そうとする。しかも、法的根拠なしにだ。
その結果、保有株式の含み損に加えて、借金までして税金を払っている人がいる。

これが「法治国家」の本来あるべき姿だろうか。断じてそんなことはあり得ない。

真の「法治国家」では、「裁量で、取り易そうなところから税金を取る」ということは、断じてあってはならないのだ。国民の代表によって国会で審議された法律に基づき、単純かつ明快に課税体系を定め、その範囲内で徴税業務が実施されなければならない。
個々の課税庁職員の「裁量」によって税金が増えたり減ったりするようなことは、あってはならないのだ。まして、課税庁職員に徴税ノルマを課することがあってはならないのだ。

ならば、おかしいと思ったものについては「おかしい」と声を上げようではないか。自らが正しいと信ずる道を貫こうではないか。

我々は、課税庁を信頼し、その指導に従い、これまで長年にわたって所得申告を行ってきた。しかし、その信頼は無残に裏切られた。課税庁自らの手によって。

これが正常な姿だと思う者はいないだろう。ならば、そのことを堂々と主張しようではないか。
我々は、課税庁の陰謀によって「脱税犯人」に仕立てられたままでいいのか ? 否 !

一人一人の声は小さくとも、それが集まれば無視できない声になる。しかも、日本の税制にはさまざまな「暗部」が存在することが、ようやく明るみに出つつある。

新しい世紀を迎えるに当たって、過去の世紀の膿はすべて出し切り、新しい国家と納税者の関係を築こうではないか。

本来、「法の下の平等」という考え方からすれば、「裁量」や「ネゴによる抜け穴」というものがあってはならないのだ。いま一度、そのことを国家に対して問い質すべきではないだろうか。

たまたま、自分がストックオプションの課税問題に巻き込まれたため、結果として日本の税制のあり方を知るいい機会になった。このチャンスは無駄にしない。おかしいものはおかしいという。その当然のことを、私は実行したい。


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