税務訴訟 [Round.14 : 祭りだ ! 突撃だ !]
 

不服申立なのだ (2002/4/8)

今日の午後、王子税務署に、更正処分に対する「不服申立」を提出する。3 月中は仕事で忙しくて延び延びになっていたが、とにかく 5 月 12 日までに出さないと税務署が喜んでしまうので、忘れずに出すことにする。

「不服申立」というと理由を書かなければならないが、もらってきた用紙では、右半分にスペースがあるだけ。いろいろ書いていたらとても収まりそうになかったので、「別紙参照」にしてしまった。その「別紙」の内容を、一足お先に公開しよう。


処分そのものに関する問題点 : 計算過程の不明瞭

更正処分通知に記されているのは、最終的な円建ての「結果」の数値のみであり、

  1. 何日付で何株分の権利を行使し、
  2. それの購入価格と売却価格の差がいくらで、
  3. それによって得られたドル建ての利益と、
  4. 当時の為替相場によって算出された円建ての利益がいくらになったか

という、送付された数値に至るまでの計算過程が不明である。よって、その過程を詳細に証明するすべての数値の提示が必要である。
今回の処分に先立ち、王子税務署・特別管理部門の河合氏は電話の席において「権利行使に関するデータが得られた」と発言しているのであるから、それを提示することには何の問題もないハズである。

そもそも、算定根拠を欠いた状態で申告書の内容を「間違い」と断じて処分を強行した課税当局の態度は、説明責任の放棄に他ならない。

処分そのものに関する問題点 : 「勤務成績」と「対価」の関連

課税庁側は、ストックオプションの権利行使によって得られた収益を、「労働の対価である」と主張している。
ということは、労働によって示した成果が大きいほど、それに対する対価が増額されると考えるのが、社会通念から見て妥当である。

このことは、修正申告、あるいはそれに起因する増差所得の獲得が少ない税務署員が、より多くの修正申告、あるいは増差所得を獲得した署員よりも優先的に昇進、あるいは昇給することがないであろうことを考えれば、容易に理解できるハズである。

したがって、マイクロソフト株式会社在勤中の 7 年間の、勤務成績と所得の相関関係を比較した上で、ストックオプションの権利行使による所得 (課税庁いうところの「精勤の対価」) と勤務成績の間に明確な相関関係がなければ、「ストックオプション = 精勤の対価」という課税庁の主張は論拠を失う。

よって、年次ごとに、勤務成績と「労働の対価」の相関関係を証明することを要求する。なぜなら、労働によって成果を出していないにもかかわらず、多額の「精勤の対価」を受け取ることは、社会通念上、妥当とはいえないからである。

処分そのものに関する問題点 : 「勤務期間」と「対価」の関係

一般的に「労働の対価」と称した場合、

「いつからいつまでの労働によって示された、これだけの成果に対してこれだけの対価を支払う」

ということが明確でなければならない。
たとえば、ハンバーガー屋のアルバイトは勤務時間に比例して時給と勤務時間を乗じた額を受け取るし、雑誌に記事を書けば、ページ数とページあたりの原稿料を乗じた額を原稿料として受け取る。これらは、労働の時間、あるいは成果と収入が正比例関係にあるので、労働の対価としての要件を備えている。

ついでに付け加えるなら、税務署員は、提出された申告書の中からより多くの非違を発見する、あるいは多くの修正申告と増差所得を獲得する者の方が、昇進する可能性が高い。

もし、課税庁側が強弁するように、ストックオプションの権利行使によって得られる利益が「精勤の対価」であるとするなら、権利行使によって得られた「精勤の対価」がそれぞれ、いつからいつまでの労働、あるいは労働によって示した成果に対して、どのような算定根拠を持って算出されたものであるかを明示すべきである。
しかし、現実にはそのような根拠は一切提示されず、課税庁職員は「精勤の対価である」という主張をオウム返しに繰り返しているだけである。

処分そのものに関する問題点 : 理由なき処分の無効性

本事案に限らず、ストックオプションの権利行使に関わる更正処分の通知において、課税庁側は一貫して理由を説明していない。
また、通知書の「この処分の理由」と書かれた場所にわざわざ打ち消し線を引いていること、また、以前に送付した「公開質問状」を黙殺したことからも、課税庁側が本件に関して理由を説明する意思を放棄している、すなわち説明責任を放棄していることは明白である。

もし、すでに提起されている訴訟の席で課税庁側が主張している「所得税法第 28 条の解釈」が理由であるとするならば、それを記述すれば済むことであるにもかからず、そのような記述は一切なされていない。しかも、これとて訴訟の席に至って、しかも途中から持ち出された主張でしかない。当初より一貫して、この理由に基づいて課税していたのであれば、最初からその趣旨で説明があるべきである。

行政機関が国家権力を背景にし、国民に対して何らかの行政処分を強制するのであれば、そこには正当なる理由としかるべき法的根拠、そして透明性と公平性が伴わなければならない。なぜならば、理由や根拠の説明を欠いたまま、裁量によって好き勝手に処分が行えるということになると、行政府の暴走が発生する可能性があるからである。
そのためにこそ、日本国憲法では行政府と立法府が分離・並存し、対等な立場に置かれる「三権分立」が規定されている。

もともと、源泉徴収制度を筆頭に、課税庁が本来なすべき業務を他者に委託することで、自ら負うべき負担を回避している事例は少なくない。それによって業務上の負担を相当に軽減しているにもかかわらず、それほど多数が行われていない更正処分においてすら「理由の提示」という簡単な業務を怠っているのは、まさに課税庁の怠慢である。

あるいは、書類に証拠を残すと、何か都合が悪いような理由を基にして課税を強行しているという可能性も考えられる。もし、この推測が真実であるとするならば、公にすると都合が悪いような理由をもって課税するということ自体が間違っており、そうした処分は可及的速やかに無効とされるべきである。


所得の性質に関する問題点 : 市場価格に依存する偶発性 (1)

企業の株価は、土地の価格と同様、永続的に上昇するというものではない。Microsoft Corporation の株価にしても、業績とは無関係に、上下変動を繰り返しているのは紛れもない事実である。
そのため、ストックオプションの権利付与があっても、将来的に所得が得られるということは、まったく保証されていない。現に、米国 NASDAQ 市場における株価の暴落によってストックオプションが紙屑と化した事例は、2000 年から 2001 年にかけて続発した。

株価が低迷していれば、いくら精勤していても「対価」はゼロということになる。同じように労働していても、権利行使によって利益が出たときだけ「精勤の対価である」として徴税し、株価下落によって含み損、あるいは利益の逸失が生じた場合は知らん顔というのは、ただの二枚舌である。

また、現実の株式市場においては、企業の業績が良好でも、別の外的要因によって株価が動くことも少なくない。たとえば、同業他社が業績不振に陥ったため、業績がよい会社まで巻き込まれて株価がセクター単位で低迷するという事態は、実際、多く起きている。

このことを勘案すると、ストックオプション制度を個人の業績に対する「成功報酬」と考えた場合、制度によって得られる収入と業績の間に「直接的な比例関係」があるとみなすのは不可能である。

所得の性質に関する問題点 : 市場価格に依存する偶発性 (2)

また、vesting によって権利が行使可能になった時点で、実際の株価がどのような推移を見せているかは、社員個人にはコントロールできない領域の話である。業績が良好でも株価が上がらない、あるいは赤字続きでも株価が上がっている、といった事例は、現実の市場において多く存在する。にもかかわらず、その株価に依存する収益を「労働の対価」と看做すことには、根本的に無理がある。

しかも、今回問題になっている外資系企業各社の場合、問題になっている株式は米国本社のものである。world-wide に事業を展開する大企業においては、日本法人の業績だけで米国本社の株価が動くものではなく、場合によっては日本法人が健全経営でも米国本社の経営不振によって株価低迷、ということも起こり得る。この場合、日本法人の社員は「精勤の対価」を手にすることができず、くたびれもうけとなる。

あるいは逆に、日本法人の業績は今ひとつでも、米国本社の業績が絶好調なら、米国の株式市場においては株高を招く可能性は高い。それでも、業績が上がっていない (= 精勤していない) 日本法人の社員が、米国本社の株式を使用したストックオプション制度の権利行使によって利益を得ることは、(vesting さえされていれば) 何人も妨げ得ない。

こうした事態は実際に発生している、あるいは発生する可能性があり、そのことが「ストックオプション = 精勤の対価」とする課税庁側の主張が成立し得ないことを証明している。

所得の性質に関する問題点 : 権利行使は個人の自由意思に依存する

すでに述べてきているように、ストックオプションは権利の付与によって直ちに行使可能になるものではなく、一定の期間をかけて少しずつ行使可能の株の比率が増える (vesting) 仕組みになっている。

しかも、ひとたび vesting された分については、いつ、何株分の権利を行使するかは、従業員それぞれの判断に委ねられており、それに対して会社側は一切関知していない。勤務成績がよくないから権利行使ができない、というようなことはないし、勤務成績が良好だったからといって行使を勧められることもない。
よって、勤務状態とは無関係に、労働者本人の判断で (一定の期間を経て vesting されていれば) 株価と懐具合を勘案するだけで、いつでも権利行使が可能である。これを「給与」、すなわち「精勤の対価」とすることは、社会通念上、筋が通らない。

したがって、個人の自由意志によって所得を得るタイミングや金額をコントロールできるという性質を帯びているものを、「精勤の対価」としての「給与」と認定することは不可能ということである。この点は、労働省・労働基準局長の解釈通達 (平成 9 年 6 月 1 日基発 412 号) において、実に正確に表現されている。
にもかかわらず、国税庁がそれと相反する行動を強行しているのは、まさに課税庁の権力を笠に着た横暴に他ならない。

所得の性質に関する問題点 : 継続性の欠如

この vesting の件とも関連するが、ストックオプションの権利行使による収入が、在勤中に継続的に得られているという実例は存在しない。なぜなら、一定の期間を経て vesting されなければ行使は不可能だからである。また、一定の期間を経て権利が expire すれば、勤務成績がどうあれ、収益はゼロである。

よって、ストックオプションの権利行使に伴う収入は、必然的に不連続性を伴うものとなる。また、「市場価格に依存する偶発性」との関連により、定期的に同じ株数の権利行使を行ったとしても、利益は常に変動する。
つまり、ストックオプションの権利行使に伴う収入は、継続的な労働に対する対価としての「給与」が必然的に伴うべき「継続性」を欠いている。

また、給与の算定ならびに支給の単位として、時給・日給・月給・年俸とあるが、いずれも期間と対価の関係は明白であり、スパンは最長でも 1 年である。
だからこそ、確定申告は年単位で実施されており、毎年、「前年一年間の収入」を基にした税額を申告するという制度になっている。もし、1 年を超えるスパンで収入を計算する場合があるなら、確定申告の制度そのものを見直さなければならない。

しかるに、ストックオプションの場合は vesting が部分的に行われることから、権利付与から権利行使までの期間が、場合によっては数年に及び、しかも権利行使が間欠的になることも珍しくない。これは、vesting という制度上の理由と、権利行使が可能になっても株価が低迷していれば行使を見送るという事情に起因する。

そのため、労働による成果と、それに対する報酬を算定する際のスパンが、最長でも 1 年単位の「年俸」にとどまっている「給与」と同じ枠内に収めて所得の計算を行うのは、事実上、不可能である。
この一事をもってしても、ストックオプションを通常の「給与」と同じ概念で扱うことの無理・無茶・無謀は証明される。

なお、継続性を欠いている「会社からの支払」として退職金があるが、退職金が給与所得に分類されていないことを、併せて指摘しておく。

所得の性質に関する問題点 : 保証されない利益

株価が市場の動向によって変動することを考慮すれば、ストックオプションとは、あくまで「将来的に多額の差益が得られるかもしれない」という制度であり、多額の差益を最初から保証しているものではないのは明白である。

そのため、実際の株価の推移によっては、差益は少額、ひょっとすると皆無にもなり得るという性質を帯びている。
しかも、人材の流動が激しい外資系企業の場合、vesting される前に何か事情があって会社を辞める可能性もある。その場合、権利行使によって差益を得る可能性はゼロである。また、株価の低迷によって権利行使をためらっている間に権利が expire した場合も同様である。

つまり、これは一種の「宝くじ」を支給するようなものである。しかし、給与を支給する際に「3 億円当たるかもしれないから、これを給料として支給する」として「宝くじ」を支給するなどというやり方は認められていないし、現実問題としてあり得ない。

このような性質を帯びているストックオプションに対し、課税庁側が「給与」であると強弁し続けるのであれば、国税庁の全職員に対する現金給与の支給は中止し、代わりに給与相当額の国債、あるいは宝くじを支給するよう提案する
なお、本来は宝くじの収益は非課税であるが、国税庁職員に労働の対価として支給された宝くじが当たった場合、それは課税庁側の主張を敷衍するなら「精勤の対価」であるから、当然ながら例外として、給与所得として課税されるべきであろう。

所得の性質に関する問題点 : 課税根拠に関する主張の二枚舌

すでに提起されている税務訴訟において、課税庁側は「権利付与時の労働の義務発生」ならびに「権利付与による、精勤に対する動機付け」をもって、「精勤の対価である」とする主張を行っている。この主張が成立するものであれば、当然、課税原因は権利付与という行為そのものに対して発生するものと考えられる。

一般的に、ストックオプションの権利付与において設定される購入価額は、すでに株式を公開している企業であれば、その際の時価にスライドする。そのため、権利付与の時点で課税を行うとすれば、株式の時価と設定購入価額は等しい、あるいは極めて近似しているため、実質的な利益は存在しない。よって課税原因も存在しないということになる。

しかし、課税庁による現実の課税は、権利付与時ではなく、権利行使時に行われている。「権利付与が精勤の対価を生む」との主張にもかかわらず、その時点では課税を行わず、権利行使のタイミングを持って課税を行っているのは論理の破綻であり、まさに二枚舌に他ならない。

権利付与時ではなく、権利行使時に課税するのであれば、すでに何度も繰り返しているように、課税庁側は権利行使のタイミングにおける「精勤の対価」としての理由付けを行う義務がある。
つまり、労働者本人の意思によって権利行使のタイミングと株数を自由に設定できるという行為そのものに関して、「給与」が本質的に伴うべき「精勤との間の対価性」を理論的に証明する必要がある。にもかかわらず、そのことを証明できるような主張は、今に至るまでなされていない。

まとめると、「権利付与時に「精勤の対価」としての理由付けを伴っているがゆえに、権利行使時に課税する」という主張と、実際に取られている「行使時課税」という行動は、いずれも課税庁側にとって都合の良い話を適当にピックアップしてつぎはぎしているだけであり、論理的整合性や一貫性を欠く、支離滅裂なものである。

憲法 84 条との関係

すでに法廷において明らかにされているように、課税庁側が所得税法第 28 条の解釈をある時点以後に変更したことによって、今回の処分の原因となった「給与所得」としての課税を実現している。

つまり、本来は法的裏付けを持ってなされるべき課税実務が、国民の代表たる国会の議決を経ていない、単なる解釈の変更を根拠としてなされているということになる。
このことは、課税庁が立法府たる国会の権限を侵害し、ひいては憲法に定められた三権分立をも侵害しているものと考えられる。いま一度、課税庁関係者すべては、三権分立に関わる規定と、ついでに日本国憲法第 84 条を読み返すべきである。

所得の性質に関する問題点 : 結論

ここまで述べてきた事情を敷衍すれば、ストックオプションの権利行使による利益が、投資家のファンダメンタルズによって左右される「市場価格」という、極めて偶発性を持った要素に依存していることは明白である。
しかも、精勤によって示した成果に対する直接的な比例関係、ならびに勤務と直結した時間的継続性・連続性を備えるべき「給与所得」としての性質を備えていないことも、また明白である。

よって、所得税法第 28 条を根拠に「給与所得」と認定した本処分は誤りであり、「一時所得」と認定した当初の解釈は正当なものである。


まとめに代えて : "亡国税制" に対する憂慮

本来ならば、「努力した者は、それに見合ったリターンを得られる」という状況を税制によって作り出し、税制を一種のツールとして活用することで、優れた成果を出すことに対する動機付けを行うことが必要である。右肩上がりの経済成長が保障されなくなった昨今の経済情勢を考えれば、このことは容易に理解できるハズである。
それが結果として個人、あるいは企業の活力を引き出し、結果として日本経済の競争力を強め、日本に対する海外からの投資増大にもつながる可能性がある。

にもかかわらず、現実に行われていることは正反対である。
それが偶発的なものであるか否かは別として、企業が社員に対して提示するさまざまなインセンティブを軒並み課税対象としてしか考えず、結果としてインセンティブを骨抜きにしてしまうという課税庁の近視眼的対応は、「努力するものは報われない」という認識を定着させ、日本経済の活力を殺ぐ結果になる。

しかも、その近視眼的対応を正当化させるために主張の内容が二転・三転したり、あるいは虚偽の言を弄してまで自らの裁量行政を正当化する課税庁の姿は、納税者からの信頼を喪失せしめ、ひいては申告納税制度の根幹を崩壊させるに十分である。

かような事態が続けば、最終的には日本という国そのものに対する信頼感が失われ、他国に対して優秀な頭脳や資本が陸続として流出するという致命的な事態を招き、最後には日本経済を崩壊せしめる危険性がある。
つまり、目先の税収増を目的とした裁量課税の横行が、結果として日本経済を崩壊させる「亡国税制」となる危険をはらんでいるということである。

万一、そのような事態が惹起した場合に、責任を取る覚悟が課税庁にあるのかどうかを、最後に問いたい。


不服申立を出したのだ (2002/4/8)

という訳で、↑のプリントアウトを添えて、不服申立を出した。書く内容や分量について制限はないみたいだったから、まさに "書きたい放題" に書いて出したが、これを読んだ税務署員は、頭に血が上ったに違いない (笑)

そのせいか、夕方になって外出から帰宅してみたら、「非通知」の電話着信記録が残っていた。これって税務署からの電話か ? どういうわけか、税務署って発信者番号通知をしないのだ。よほど自分たちの正体を知られたくないらしい (笑)


窮裁措置 (2002/4/9, 2002/4/16 修正)

国税庁では、所長に対する「不服申立」と国税不服審判所に対する「審査請求」、そしてその後の税務訴訟という一連の手続きのことを「救済措置」と称している。
だが、はっきりいえば、これは全然救済になっていない。

だいたい、処分をしたのは署長である。その署長に不服申立をしたところで、それがいかに ↑ のような手厳しい内容であったところで、納税者を屁ほどにも思っていない税務署長が処分を取り消すはずがない。時間の無駄である。

建前ではどういっていようが、税務署員はわれわれ納税者が何かしに行くと、最後に「ご苦労様」という。昨日の不服申立のときもそうだった。
前にもどこかで書いたように、これは目下の人間に対して使う言葉であって、つまり税務署員は我々納税者のことを目下の人間だと思っているのだ。内心に隠された本音は、往々にしてこういうところに表れる。

では、国税不服審判所はどうか。
これ、建前としては「第三者機関として云々」ということになっているが、実情はというと、審判所には次の署長候補がゾロゾロいて、本物の「第三者」はロクにいない。しかも、国税通則法第 99 条 (国税庁長官の指示等) に、こんな規定まである。(太字は筆者が追加)

  1. 国税不服審判所長は、国税庁長官が発した通達に示されている法令の解釈と異なる解釈により裁決をするとき、又は他の国税に係る処分を行なう際における法令の解釈の重要な先例となると認められる裁決をするときは、あらかじめその意見を国税庁長官に申し出なければならない。
  2. 国税庁長官は、前項の申出があつた場合において、国税不服審判所長に対し指示をするときは、国税不服審判所長の意見が審査請求人の主張を認容するものであり、かつ、国税庁長官が当該意見を相当と認める場合を除き、国税審議会の議決に基づいてこれをしなければならない。

つまり、国税不服審判所は、最初から国税庁長官と国税審議会の走狗となることが法律で規定されているというわけだ。こんなもんが「救済措置」とは、なかなか笑わせてくれる。「窮裁措置」の書き間違いだろう。


これって "災害" だったんか ! (2002/4/16)

仕事が忙しくてライブが遅れたが、実は、こんな一件書類が、10 日に拙宅に届けられた。





見ての通り、「延滞税の免除通知書」、つまり「延滞税をまけてやったから、ありがたく思え」という趣旨の一件書類である。
注目したいのは、延滞税を免除した理由だ。


書類にしかと書いてあるように、延滞税の免除措置は「国税通則法第 63 条第 6 項第 3 号」によるとのことだが、これ、実はこんな条文だ。

3. 震災、風水害、火災その他これらに類する災害により、国税を納付することができない事由が生じた場合

国税庁の方針が変わって、去年からストックオプションに関する追徴処分に延滞税をかけないことにしたというのは、すでに判明している。この書類の内容を敷衍する限り、その理由は「震災、風水害、火災その他これらに類する災害」ということになる。なんのこっちゃ。

よしんば災害だとしても、これは間違いなく「人災」というべきであろう。どう間違っても「天災」とはいい難い。国税庁の支離滅裂も、ここに極まれりという印象がある。


いまさら、何を調査する ? (2002/5/16)

不服申立を出して 1 ヶ月。財務省のリモホが Web を覗きに来るぐらいしか動きがなかったのに、突如として王子税務署の個人課税第 4 部門 (ん ? 特別管理部門じゃないのか) の渡辺氏と名乗る人物から電話がかかってきた。いわく。

「この度、井上さんの不服申立の担当になりました。つきましては、調査にうかがいたいんですが」

はあ ?
どうせ却下するつもりの不服申立で、何を調査しなければならないんだ。とっとと却下して審判所に送ってもらいたいところだ。(といって、これも所詮は茶番だけど)

そこで、さっそく先制口撃。
「『データが手に入った』といって、更正処分したのはそっちじゃないか。それに、こちらの言い分は紙にして出してある。日本語で書いてあるから読めるだろう。もう処分は済んでいるのに、いまさら何を調査するというのだ ?」

すると、「とにかく調査します」の一点張りで、例によって理由の説明などしようとしない。国税庁お得意の、アカウンタビリティの放棄ですな。

ひょっとすると、「不服申立の調査」というのは名目で、本当は別の調査をしたいのかもしれない。誘導尋問や横目調査が国税の常套手段だから、これは大いにあり得ることだ。


続・いまさら、何を調査する ? (2002/5/20)

また、件の渡辺氏から電話。例によって「そっちはデータを持ってて、それをベースに処分したんだろう」と突っ込んだところ、「こちらが持ってる数字とですね、井上さんの数字の算定根拠を突き合せたいんです」との由。

これが真実である可能性もあるし、トラップという可能性もある。たとえば、「データを持っている」というのが、実は全部のデータを持っているわけではなく、算定根拠の計算式が穴だらけになっているとか。

もっとも、先方が 5 月一杯という期限を切っている限り、こちらとしては時間が無さ過ぎる。海の向こうまで巻き込んで資料集めに奔走するのに、10 日かそこらでネタが揃うわけがない。

というわけで、「時間が無さ過ぎるじゃないか」ということと「ネタが揃ってるわけではない」という点を伝えた。もともと、争点は金額じゃなくて金額を書く場所な訳だかし、振り込まれてきた最終的な金額は銀行に行けば分かるのだ。
それに、こちらが何も出さなければ、不服申立を却下する際に先方が何を出してくるかで、どの程度のデータを持ってるかが分かるという余禄もある。


続々・いまさら、何を調査する ? (2002/5/31)

また、件の渡辺氏が電話してきた。相変わらず「資料はないか」というから、「そんなもん、この短時間で揃うわけがないだろう」とやり返す。ったく、同じことを何回いわせるんだ。そんなにネタに困ってるのか。

で、申告した数字は何で出したのかというので「口座に振り込まれた円建ての金額である」と答えた。同じことを前回の電話でも答えているのだが、世界に冠たる優秀な日本の税務署員は頭が良すぎて、もう忘れてしまったらしい。

挙句の果てに、「それなら通帳を見せろ」といい出した。生憎だけど、私は誰かさんと違って、振り込まれた金額はそのまま書いているから、そんなところでアラ探ししたって駄目だよ♪
ついでに、「よく、税務署の人が調査に来て通帳を持って行ってしまった、なんて話があるが、持って行ってしまっては駄目だ。見せるかコピーするだけだ」と釘をさしておいた。

なんでも、税務署が持っている「課税根拠となったデータ」は、不服申立に対する決定が出るまで、納税者には公開されないのだそうだ。毎度恒例の秘密主義だが、こういうところからして、日本は「納税者主権」が守られてないと思う。処分したんだから根拠があるはずで、それを開示することに何の不都合があろうか。
まして、ストックオプションの件は税務署長も審判所も却下することが最初から決まっている、いわば茶番なのだ。あほらし。


商法改正によって露呈した矛盾 (2002/6/17、2002/7/2 加筆)

鳥飼総合法律事務所の「税務訴訟」によると、平成 14 年度の商法改正で、ストックオプション権利付与の対象に関する「取締役または使用人に限る」という制限が撤廃されたとの由。
すると、社員以外の人、たとえば顧問弁護士とか顧問税理士なんかにも権利付与ができそうだが、その場合も国税当局は、「給与所得」だと言い張るだろうか ?

もともと、「一時所得→給与所得」という解釈の変更が発生した理由は、日本における商法改正でストックオプション制度が導入された際に、権利付与対象者を「発行法人の取締役又は従業員に限定」したという事情がある。
ところが、今次改正によってこの制限が撤廃されたことから、国税当局が「給与所得である」としてきた根拠が消失したことになる。

これにより、社員・役員以外の、もともと「給与」をもらう立場ではない人に対して、ストックオプションの権利付与によって「給与所得」が発生するというのは、矛盾していないだろうか ? それとも、所得の内容は同じでも、それが社員のときだけ「給与所得」だといい張り続けるのだろうか ? 社員は「給与所得」、それ以外は「事業所得」というダブル・スタンダードを使うつもりだろうか ?

もっとも、「不遡及の原則」に従い、すでに「給与所得」として課税したものについては元に戻す理由はないと主張する可能性もあるが、もともと法律に則って行われたものではない行為に対して、法制度上の原則である「不遡及の原則」を持ち出すのは、二枚舌もいいところである。
ついでに書けば、もともとは「一時所得」でやっていたのだから、「不遡及の原則」を反故にするなら、最初の状態に原状回復して「一時所得」にするべきだ。

制度を作る側と税制を運用する側が、ちゃんとすり合わせをやらずに、それぞれ適当にやってるから、こういう不始末が起こる。しかも、それに便乗して、国税が好き放題に裁量行政をやる。こういうことをやるから、税制に対する納税者の信頼が失墜する。
霞ヶ関の官僚どもは、そういう基本的なことがまったく分かっていない。


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