税務訴訟 [Round.24 : 判決です]
 

作戦ミス ? (2004/1/21)

自分の裁判の判決は 1/30 に出るが、それに先立ちこんなニュース。

ストックオプション利益に『給与所得』認定…横浜地裁」(讀賣新聞, 2004/1/21)

ひょっとして、「親会社・子会社」で争って敗けたのか ? 本来、攻撃すべき点は別にあるだろうに… 記事によると、すでに 94 件の訴訟が提起されているとのこと。さらに、自分が知っている範囲だけでも 2 件が提訴準備中だから、3 桁の大台に乗るのは時間の問題だな、こりゃ。
ちなみに、この記事の末尾の方で「税制を整備した」とあるが、これは単に「通達を出した」というだけの話で、所得税法を書き換えたわけでも何でもない。「通達を出した」ことで「税制を整備した」と称するのが、憲法 84 条が定めるところの「租税法律主義」の観点に照らして正当なものかどうかというと、とても疑問だ。「護憲」を標榜する某政党は、毎度恒例の 9 条だけじゃなくて、こちらにも着目してみたらどうだ。

ところで。この判決でも、さすがに過少申告加算税まで認めることはできなかった。過去に当局がマスコミを使って宣伝していた内容がデタラメもいいところで、「最初から給与所得として納税するよう指導していた」というプロパガンダが虚偽に満ちたものであることが露見している以上、過少申告加算税の賦課を正当化するのは、いくらなんでもムリ。
少なくとも、今回の一件を通じて、日本の税務行政がいかにデタラメな運用をされているか、そして、当局が税法ではなく裁量と情報操作によって課税の内容をコントロールしてきた事実が露見しただけでも、争った価値はあるというものだ。

負けちまった (2004/1/30)

すでに「不定期日記」の方にも書いた通り、「原告敗訴」の判決が出てしまった。

同じ日に、MSKK の元社員が立川税務署長を相手取って起こしていたストックオプション税務訴訟の判決があり、自分の件に先立って判決が読み上げられたので、その時点で原告敗訴が分かった。とはいえ、改めて自分の訴訟について判決文が読み上げられると、まったくガックリこないというわけではない。どちらが勝っても高裁に行くのは同じだから大勢に影響するわけではないし、すぐに気分的には立ち直ったのだが。

しかも、この期に及んで東京地裁の係官は、事件番号と原告の名前を読み上げる際に「原告 いのうえ たかし」と名前を読み間違えるという大失礼をやってくれた。せっかく名前を読み上げてくれるようになったというのに、これでは大無しだ。原告の名前ひとつちゃんと読み上げられないくせに、なんだこの判決は、と八つ当たりしておこう (笑)

判決文を読む (2004/2/3。2004/2/7・25 加筆修正)

判決から 4 日も後になってしまったが、判決文の内容について書こうと思う。判決文の最初の方で延々と書かれている事実関係や原告・被告双方の主張はすっ飛ばして、問題になる、最後の判断部分に集中的に目を通してみた。

もともと、この件で問題になるのは、

「従業員としての地位に基づいて権利付与されたものであり、そもそも報償を目的として設定されている制度であるから、給与所得該当性がある」
と主張する国側と、
「株価が企業の業績とストレートにリンクしない点、権利行使のタイミングを本人が自由にコントロールできる点などから、労務の質的・量的な内容と権利行使益の間の相関関係が希薄である。かつ、権利付与時の事由をもって、権利行使時の所得の所得区分を決定するのは、年ごとに所得を計算すると規定した所得税法 36 条に違反する」
という原告側の主張の、どちらが正しいのかという点だ。

長々と書いてある判決文の全文を掲載しても飽きられてしまうのがオチなので、簡単に要約すると、今回の判決では、

「株価が業績にストレートに比例しない点や、権利行使のタイミングを本人が自由にコントロールできる点については認めつつも、そもそも社員としての地位に基づいて権利付与されたものであり、ストックオプションという制度そのものが報償を目的として設定されている制度であるから、給与所得該当性がある」
という、もろに国側の主張を敷衍した内容となっている。つまり、一言でいえば「実際に得られる所得がどのような事情から発生するものか」という結果論ではなく、「所得の遠因となったストックオプションの権利そのものが、どのような事情から得られたものか」に立脚して所得区分を決定するという、建前論に終始した内容といえる。

また、かなりのページを割いて延々と「親会社・子会社」論に言及しており、「勤務先と権利付与元は別の法人だが、マイクロソフト株式会社は Microsoft Corporation の 100% 子会社であり、一体として活動するグループ企業なのだから」として、親会社からの権利付与でも子会社からの給与支給と同一視すべきだとしている。
しかし、実のところ、私の訴訟では「親会社・子会社」論は付け足し程度の扱いで、本論は別のところにある。にもかかわらず、判決文でこの点に延々と言及したのには、何か裏があるのではないか、と勘繰ってみたくもなる。

さらに、その他のポイントについても見てみよう。

賞与としての性質を有する ?

興味深いのは、給与所得該当性について言及する際に「賞与としての性質を有する」という、これまでに聞いたこともないような主張を持ち出した上で、「賞与が業績にストレートに比例して増減するとは限らないから、賞与としての性質を有するストックオプションにも、直接的な対価性がなくても給与所得該当性がある」という論理を展開している点だろう。
つまり、「ストックオプションは賞与としての性質を有する」→「その賞与は給与所得である」→「賞与は業績にストレートに比例するとは限らない」→「だから、賞与としての性質を有するストックオプションの権利行使益にも給与所得該当性がある」という四段論法を展開しているというわけだ。

そこで問題になるのは、どこをどうつつくと「ストックオプションの権利行使益が賞与としての性質を有する」ということになるか、という点だろう。ここを突き崩せば、この論理は破綻する。これまで、国税側は異議申立や審査請求の過程で「ストックオプション = 賞与」という主張はしてきていなかったが、本件訴訟の結審ギリギリになって国側が出してきた資料に、賞与と看做されるという文言が含まれていたようだ。
しかし、毎月定期的に支払われるものではない収入だから賞与だ、というのは暴論だ。菅野裁判長の論理を敷衍するならば、たとえば退職に際して権利行使を行った場合 (実は、私の場合は大半がこれに該当する) には、退職に際して権利を行使して経済的利益を得たのであるから、退職所得として扱われなければならない、という理屈も成り立ってしまう。(もっとも、退職金は給与の後払いという性質があるわけだが、退職金が給与所得ではなく退職所得として、所得の態様や担税力に配慮して別枠で扱われている点を忘れてはいけない)

経済的損失はない ?

また、この判決文の中では、「株価下落によって権利行使ができなくなった場合でも、それは権利行使益を得られなくなったというだけで、経済的損失が発生した訳ではない」という趣旨のことが記されている。しかし、これはとんでもない勘違いだ。
従業員が (ストックオプション制度の趣旨に則って) 権利行使益を期待して精勤したにもかかわらず、株価下落によって権利行使益を得る機会を逸したとすれば、それは精勤が結果として「タダ働き」に終わったことを意味している。つまり、余分の経済的支出こそ生じていないにしても、精勤に対して相応の報酬を受ける機会を逸したという、レッキとした経済的損失を被っているのである。今回の判決文では、その点を完全に無視しており、表面的な経済的損失にのみ着目して給与所得該当性の根拠としているのは、不当かつ欺瞞的な判断であるといわざるを得ない。

そもそも、一方で「権利付与は報酬を与える目的だから給与所得だ」といっておきながら、その報酬を得る機会を逸して「タダ働き」に終わった場合については何も言及していないのは、国税側の主張、並びに今回の判決文に関する、極めて重大な論理的矛盾といえる。
もし、権利付与と、それによって得られるかもしれない権利行使益が (判決文がいうように)「労働の対価としての性質を有する」のであれば、その権利行使益が得られなかった場合については労働の対価が得られなかったことになるのだから、損失を計上できるように適切な立法措置を講じなければ片手落ちだ。その点を無視して、権利行使益が発生した場合に限って給与所得該当性を主張するのは、極めて御都合主義的な判断といえよう。

すべからく地位で所得区分を決めているか ?

そして、「社員としての地位に立脚して得た権利だから、その権利を行使して得た所得には給与所得該当性がある」という論理についても、会社に勤務することによって得られた所得がすべて給与所得に分類されているわけではないという事実によって、論破することができる。
実際には、会社に勤務する過程で得られた所得の中にも一時所得に分類されている例があるし、退職金のように別枠で「退職所得」という優遇措置が設けられている事例もある。どうしてそういうことになるかといえば、それは所得の発生原因になった「地位」ではなく、「所得がどのように発生したか」という「所得の態様」に配慮した結果として、所得区分が分けられているからだ。断じて「社員としての地位が所得区分を決める」ということではない。

権利そのものに価値はない ?

ちなみに、原告側が所得税法 36 条を持ち出した背景には、「権利付与」そのものに価値を見出し、それを権利付与時点の収入として完結させる一方で、権利行使益については付与された "権利という名の資産" に対する価値の向上 (いわゆるキャピタルゲイン) としての性質を有するものであり、かつ、それぞれの年度は異なるものであるから、過去の年度の事由に立脚して所得区分を決定するのは、「1 年ごとに所得を計算して課税する」と規定している所得税法 36 条に照らして不当である、という考えが根底にある。
これについて判決文では、所得税法 36 条そのものに直接言及することはせず、権利付与の時点では譲渡も行使もできないのだから収入価値がなく、原告側の主張は成り立たない、としている。原告側の本来の趣旨は「1 年ごとの所得計算」というところにあるのだが、前提を否定することで、本来の趣旨に関する正面からの議論を避けている印象がある。

しかしながら、この考え方と完璧に矛盾する事態を、当の国税が引き起こしている。
会社によっては、社員本人が在勤中に死亡した場合、その社員が持っていたストックオプションの権利を遺族が相続できるのだが、相続した未行使のストックオプションは「相続財産」として課税されるのだそうだ。一方では「財産価値がない」といっておきながら、社員が死亡した途端に「財産価値があるから相続税をかける」という珍無類な現象が起きているわけだ。ところが国税によると、これは「相続税法と所得税法は立法趣旨が違うから、相続税法の上で財産価値があるからといって、所得税法の上でも財産価値があるとは限らない」ということらしい。

な ん だ こ の 理 屈 は !

しかもだ。もしも株価がいい具合に上昇して、遺族が相続したストックオプションの権利を行使したら、相続税と所得税の二重課税が発生する可能性はないのだろうか ?
相続の時点で、権利価額相当分に対して相続税をかけるのであれば二重課税は発生しないが、その場合、権利価額相当の価値があると認めたことになるので、前述の矛盾が発生する。もし、権利価額ではなく、相続時点での株式時価ベースで価値を算定して相続税をかければ、株価の動向次第では二重課税が発生する上に、前述の矛盾点もそのまま。もうムチャクチャだ。
(もし、相続の時点で株価が権利価額を下回っていれば、国税は権利価額で相続税を計算すべきだと主張するだろう。そして、株価が権利価額を上回っていれば、株価ベースで相続税をかけると主張するだろう。それぐらいの二枚舌は、今の国税ならやりかねない)

というわけで

このように、内容を仔細に検討してみると、今回の判決は全般的に原告側の主張のキーポイントについては認めつつも、最後は「権利付与時の事情」を持ち出して建前論で押し切った判決、ということがいえそうだ。そういう意味では、国税不服審判所が出した裁決書の焼き直し、といえる。
言葉を変えれば、「利益を生じさせることを目的としている」ということと、「実際にそれによって利益が生じる」ということの違いを曖昧にしていて、制度の目的が必ず実現するとは限らないという点を無視している。

こうなってくると、国側に都合のいい論理を裁判長に誰が吹き込んだのかという点で、疑わしい 6 バイトの文字列が脳裏に浮かぶが、何の evidence もないので、ここでは言及しない。

ちなみにこの判決文、「原告は、本件更正処分によって経済的損失を被ったと主張しているが、本来あるべき給与所得課税に戻っただけだ」なんていう趣旨の、余計な文言まで付け加えているのがおかしい。誰がこの文言を付け加えたんだか :-p
「本来あるべき給与所得課税」といったところで、所詮、商法改正で日本でもストックオプション制度が使えるようになった際に国税が出した通達より後の話に限られる。それ以前の分まで遡及して「本来あるべき給与所得課税」といいだした日には、国税自ら 20 年近くも「本来あるべきではない姿」を容認していたということになる。そんなアホな話があるか。


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