Opinion : 贔屓の引き倒し (2010/8/30)
 

書いてみたらなんとなく、「見えない性能・表に出にくい性能 (2010/7/19)」や、「内向きと外向き」の続きみたいになってしまった。

で、何の話かというと、「ファン心理が行き過ぎると逆効果かも知れないなあ」という話。企業でもスポーツのチームでも製品でも何でも、「ファン」がつくものなら何にでも適用できそうな話として。


シンプルに「○○が好き !」といって盛り上がっているうちは、特に害にはならないのが普通。

ただ、何にでも「ファン」がいれば「アンチ」もいるのが常で、「ファン」と「アンチ」がやり合う事態に発展しやすい。そこで、紳士的にやり合っているならともかく、えてして重箱の隅のつつき合い、あるいは誹謗中傷合戦・粗探し合戦・失言探し合戦になりやすいもの。

特に、何かの事情で「アンチ」がマジョリティを占めている (あるいはマジョリティだと思われている) 場合には、「ファン」側が態度を硬化させる場合が多いように思える。「ファン」側が「(実態がどうかは別として) 自分達は少数派である」と認識している場合も同様。

もっとも、態度を硬化させるといっても、その内容にはいろいろある。

たとえば、一種の「選ばれし少数派が集う宗教団体」とでもいうべき状態になってしまい、内輪で持ち上げ合いを展開する一方で外部に背を向ける、というのはその一例。その辺の話は、以前にも「信じる者は救われる ? (2007/11/26)」で書いた。ただ、この場合に難しいのは、マイノリティだからこそ宗教的熱狂・宗教的情熱が持続するので、メジャー化すると「選ばれし少数派」というプライドとの自己矛盾を起こしかねないこと。

あと、これを宗教団体化というのかどうか分からないけれども、「アンチ」側からの批判に対して、「ファン」側がいちいち突っかかって喧嘩を売るようになることも。ただし、発端になった当初の批判が明らかに間違っているのならともかく、往々にしてそれがエスカレートしてしまうのはどうかと思う。

つまり、あらゆる批判 (ないしは批判的文言) に対して手当たり次第に「それは間違っている」と突っかかるようになると、それはもはや「贔屓の引き倒し」になりかねないリスクがあるのではないかなあ、という話。

特に、リアルに顔を突き合わせて議論する場合には「ほどほど」のところで落ち着くはずのものが、ネット上のやりとりだと行くところまで行ってしまいがち。そして不必要にフレームアップ、いつの間にか当初の本題を外れてあらぬ方向に脱線してしまう。その結果として、とにかく相手を叩き潰すことが目的、なんてことになる傾向が強くないか、と思うことが多くなった今日この頃。

もっとも、これは物事を反対側から見ても同じことで、「アンチ」側が手当たり次第に言いがかりをつけたことの反動、一種の作用・反作用法則 (え ?) といえそう。そういう意味では、どっちもどって、自業自得といえる部分もある。

ネット上でフレームアップしたときの勝ち負けは、理屈で相手をねじ伏せたかどうかよりも、先にぶち切れて暴言を吐いたり、捨て台詞を吐いて勝手に立ち去ったりしたかどうかで決まるのではないか、と思うことがある。

ともあれ、基本的には、「ファン」側も「アンチ」側も「自分の考えが正しい」と思っているわけだから、滅多なことでは折れないもの。そうなると、いくら「火事と喧嘩はネットの華」だといっても程度問題。

そんなことになってくると、「ファン」側と「アンチ」側の乱闘がだんだんと酷くなって収拾がつかなくなり、それを外部から眺めているサイレント マジョリティは両方にソッポを向く、なんてことになりはしないかなと。すると結果として、「ファン」側も「アンチ」側も損をしてしまう。


さらに、双方で論点が一致したところでバトルを始めたのならともかく、論点がずれたままでつつき合いを始めると、もう収拾がつかない。特に安全保障を巡る問題だと、ひとつの事象に対してさまざまな「学問」が関わってくるので、そういう事態になりやすいのではないかなあと。

以前に blog でチラッと書いたように、なるべく特定の国とか組織とか個人とか装備に対する思い入れを排除するようにしよう、という意識を持ち始めた昨今 (でも、まだ完全とはいいがたいのが実情)。それは「仕事の邪魔になるから」という理由なのだけれど、背景にはこんな話があったのでした。というところで、今週はおしまい。

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